“都議会のドン”といわれた元自民党東京都連幹事長の内田茂氏が21日、死去した。83歳だった。都議会を牛耳る裏ボスとして恐れられた内田氏だが、実態はかなりかけ離れていたようだ。
内田氏は1975年に千代田区議に当選してから4期務め、89年に都議に転身。2017年まで7期務めた。その間、都議会の議長も務め、自民党都連幹事長として、大きな影響力を持っていたとされるが、ほとんど無名の存在だった。一躍、脚光を浴びたのは16年に小池百合子氏が都知事選に挑戦した時だ。
非推薦候補を応援した場合には除名するという北朝鮮真っ青の都連の内部文書が暴露され、さらに自死した自民党都議の遺書に内田氏への怨嗟の文字が書き込まれたものが公開された。いずれも徳洲会側からの資金提供問題で都知事の座を追われた猪瀬直樹元都知事が仕掛けたものだ。
猪瀬氏は副知事として石原都政を支え、後継の都知事となったが、内田氏の存在を軽んじたことから確執関係にあった。猪瀬氏の告発に小池氏が乗り、内田氏をラスボスに仕立て上げる“小池劇場”で表舞台に引きずりだされたともいえる。
猪瀬氏はSNSで「小池知事の是非はともかく、不当な“人民裁判”(注・資金問題での都議会などによる追及)に対する僕のリベンジでした。その日から内田氏の凋落が始まったわけです」と振り返った。
内田氏は地盤の千代田区に小池氏から次々と刺客を立てられ、都議引退後もそのバトルは続いた。当時を知る自民党関係者は「内田さんは急にスポットライトが当たって、本当に困り果てていた。厳しい一面もあったが、普段は地元で面倒見の良い好々爺でした」と明かした。
内田氏に指導を受けた萩生田光一都連会長は「小池百合子都知事との対立の中で『都議会のドン』と呼称されたが、良い意味で本当にドンだった。おやじのような存在で、言葉は少ないが心通う政治家で、自分を捨て仲間のために汗を流すリーダーだった」と悼んだ。
小池氏は「都議会から都庁、都政に対して大変牽引力のある方だった。東京、自民党を引っ張ってこられた」と悼んだ。









