オカルト評論家・山口敏太郎氏が先日、ファン30人と十和田湖ツアーを行った。メインテーマは、東日本大震災で大幅に水位が下がった際に出現した“キリスト像”を見ることだ。場合によってはマリア像にも見えるともいわれるが、もともと自然の岩に顔や目鼻を刻んだものと推測される。それにしても、なぜ水中にキリスト像を建てたのか。ミステリーを山口氏が現地取材した。

 青森、秋田県にまたがる十和田湖。キリスト像はいつ、誰が作ったものか、分かっていない。また、奇妙なことに、十和田湖から30キロ離れた青森県新郷村にあるキリストの墓、同湖畔にある謎の礼拝堂、そしてキリスト像の3点が同一線上に並んでいる。

 謎の礼拝堂についてはさまざまな都市伝説が語られていた。「神にささげられる子供たちが勉強した部屋だ」「悪魔崇拝の信仰が行われていた部屋だ」などが代表的な噂だった。

 しかし、山口氏は「この礼拝堂はイングランド国教会を始祖とする会派『聖公会』が昭和25(1950)年に作り、当時の牧師さんが避暑地として整備したものだということです。聖公会はプロテスタントとカトリックの中道を唱える存在です。キリストの墓とキリスト像の延長線上に位置するという部分は、牧師さんが知っててやっていると思われます」と指摘する。

 つまり、当時すでにキリスト像は水中に没しており、その存在を牧師は知っていたことになる。なぜ水中に隠さなければならないかったのか。

「聖公会が初めて日本に進出したのは明治時代です。しかし、明治時代にはキリスト教は禁止されておらず、水中に隠す必要はなかったはず。つまり、キリスト像は明治より昔、キリスト教が禁止された時代から存在すると推測ができます。江戸時代にはキリストの墓とされる土饅頭、水中に没したキリスト像というレイライン(遺跡群が描く直線)が成立していたのです。聖公会の牧師さんは隠れキリシタンの末裔から水中のキリスト像の存在を聞き、それを利用したのだと思われます」と山口氏。

水位が下がって、現れたキリスト像
水位が下がって、現れたキリスト像

 では、キリスト像を水中に設置したのは、東北地方に潜んでいた隠れキリシタンだろうか。豊臣秀吉が1587年に発した「バテレン(宣教師の司祭)追放令」を受け、日本全国でキリシタンに対する圧力が強まった。多くのキリシタンは信仰を捨て離散した。しかし、信仰を捨てなかったキリシタンは鉱石発掘の作業現場に潜り込むことによって生き永らえたとされる。信仰を続ける上で、街中に潜むより山中の作業現場の方が安全だったからだ。具体的な証拠として、先日、世界遺産に認定された石見銀山(島根)の麓にはキリスト教徒の墓が残されている。十和田湖の周辺も同様だった。仙台藩の発掘現場、南部藩の発掘現場、そして十和田湖の周辺も優秀な銀がとれる銀山として有名だった。「使用する藩としても、キリシタンの採掘技術は素晴らしく、彼らがもしキリシタンであると知っていても、知らぬふりを決め込んだ可能性はあり得ます。よくよく考えてみれば、採掘の技術があるキリシタンからすれば、水中の像に細工をすることなど朝飯前でしょう。また、湖は女性器として表現されることが多い。ひょっとしたらあの像そのものがマリアで、マリアの女性器から出現したキリストを表しているのかもしれません」(同)

 さらに、キリストの墓は江戸初期の隠れキリシタンの墓とみられる。当時、多くのバテレンが追放された。しかし、わずかに残ったバテレンが姿を消している。その残ったバテレンこそが、この十和田湖のほとりにたどり着いたのかもしれない。東北には特別な文化圏があったのであろうか。