〝日本の至宝〟はどんなサッカー小僧だったのか。20日開幕のカタールW杯に臨む日本代表MF久保建英(21=レアル・ソシエダード)は2015年にスペイン1部バルセロナの下部組織からJ1FC東京U―15むさしに加入した。当時、天才少年を指導した中村忠氏(51=現東京Vアカデミーヘッドオブコーチング)は異次元のプレーに驚がくするとともに、意外な関係を告白した。

 ――FC東京U―15で久保を指導した

 中村氏(以下中村)建英が中2の5月か6月に練習参加して、そのまま入団になった。練習の最初にボール回しをするけど、見ただけでもう「うまいな」って。足の裏も使うし、逆も取れる。バルセロナ出身って「こんなにうまいんだ」という印象です。

 ――才能もあった

 中村 何かを教えたという記憶はなくて、自由にやらせていた。もちろん、サッカーに必要な規律とかやりましたけど。ある時、建英を「(利き足ではない)右足でゴール取れないな」ってからかったら、次の試合では右足でゴールし「取りましたよ」ってね。その時には日本代表の中心になると予想していた。

 ――試合に出られないと監督に直談判する

 中村 サブといっても3試合くらい。守備とポジション、規律のところだけど「そこを要求するならやりますよ」みたいな。すぐに克服したし、常にサッカーで見せるって感じ。その後もユース(U―18)に上がっていくけど、FC東京では飛び級のけん引者でした。

 ――U―23ではJ3デビューする

 中村 長野戦(2016年11月5日)でデビューすることになった。実は試合に出す時、不安だった。J3は肉弾戦になったりするし、長野は特に激しく来るチームだったから。まだ中学生だったのでJ3でやるフィジカルの強度はなかったけど、相手をかわしたり、順応性はすごかった。1、2試合で普通にプレーできるようになった。頼もしかった。

 ――久保について印象深い出来事はあるか

 中村 建英がまだ中学2年生のとき、2人1組の対人プレーの練習で監督だった僕はあえて建英と組むと、きつめにディフェンスしてボールを取りにいって「全然ダメだね」ってイラつかせていた。建英は本気で嫌がっていたけど、J3で試合に出るようになるころには、僕がまったくボールに触れなくて…。相手にされなくなった。

 ――久保の性格は

 中村 努力家で負けず嫌い。それに話すのが好きで、誰にでもかわいがられていた。上の学年に入っても物おじしないし、食事会場でもずっと話をしている。最後までいるから「早く食べろ」って感じだった。とにかくしゃべり好き。話題も豊富だし、相手に合わせたり、持ち上げたり。ゲラゲラしていた。

 ――久保を歴代の選手で例えるなら誰か

 中村 誰って言える選手がいないけど、点を取るという意味ではカズさん(三浦知良=JFL鈴鹿)かな。ジュニアユース(U―15)のときは点取り屋で、試合に出れば点を取ってくる。ヴェルディ川崎(現J2東京V)時代のカズさんがそんな感じでしたよね。

 ――適正ポジション

 中村 トップというよりも2列目でサイドハーフ。(9月の)米国戦では(サイドハーフで起用されて)ゴールに向かう姿勢を見せていたし、インターセプトして決定機をつくり出した。多分、守備のところが強化されているので、そこは日本代表の切り替えの速さとかにもつながってくるでしょう。

 ――プロではゴールを量産できていない

 中村 建英が注目されたのは試合に出ればゴールを取るから。個のレベルで相手をはがし、シュートを打てば入る感じだったけど、アマチュアとはレベルも違うし、GKも大きくなる。ゴールを取るには? 相手をかわしてからのシュートのタイミング。相手もプロなので簡単ではないですけど、シュートのパワーも出てきたので、合うようになれば取るんじゃないか。まだタイミングを計っているのかも。

 ――W杯に向けて

 中村 当たり前のように日本代表で必要とされる選手になってきている。建英が点を取ってくれるでしょうし、中心として頑張ってほしい。日々進化しているので本番が楽しみ。いい経験をすれば、次が見えてくる。

 ☆なかむら・ただし 1971年6月10日生まれ。東京都出身。84年に読売クラブ(後のV川崎、現東京V)ユース入りし91年にトップ登録。チームの黄金期を支えた。95年にA代表に初招集され、国際Aマッチ16試合出場。引退後は指導者に転身し、FC東京などで監督やコーチを務めた。今季は東京Vアカデミーヘッドオブコーチングに就任。174センチ、68キロ。