「進め!電波少年」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」など数々の人気番組を手掛けた“T部長”こと土屋敏男氏(66)が9月いっぱいで日本テレビを退社。44年のテレビマン人生を振り返った。電波少年誕生のもとになった挫折経験、サラリーマンの常識「報・連・相」の反対を訴える規格外の発想、そして自身の今後について大いに語った。
9月いっぱいで44年間のテレビマン生活に別れを告げた土屋氏。退社後もすぐに企画・演出会社「Gontents合同会社」を立ち上げ全国を飛び回っているという。「10月1日には仕事をしてましたね。(福島県の)移住促進ユーチューブみたいなものがあって(芸人の)なすびと一緒に。僕のことは嫌いなんだけど、(出身の)福島のことというと出てくれる。恨まれたままいるのも嫌だから何かにつけてなすびに会いたいんだけど、なかなか出てきてくんなくて(笑い)」
なすびは「進ぬ!電波少年」で懸賞だけで生活できるかを検証する「電波少年的懸賞生活」で1年3か月にわたる過酷な生活を送った。電波少年から多くのスターを輩出したが「感謝されるより恨まれる方が圧倒的。誰も感謝してくれない」。
1992年にスタートした「進め!電波少年」はMCの松本明子と松村邦洋がアポなしの過激ロケを行い、視聴率30%を叩き出した。有吉弘行がコンビを組んでいたお笑いコンビ「猿岩石」の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は社会現象になったほどだ。
数々の名物企画を生み出した伝説的バラエティー番組を手掛けたのが土屋氏だ。しかし開始前は「3か月やって転職するつもりだった」と振り返る。30歳を過ぎ、総合演出を任されるようになったが、90年代前半の日テレは人気番組に恵まれず不振にあえいでいた。「企画を考えても他局の当たったものをパクれと言われる。たけし城(『風雲!たけし城』=TBS系)パクれ、ねるとん(『ねるとん紅鯨団』=フジテレビ系)パクれと」
作りたい番組も作れず、たけし城をパクった番組は視聴率1%台と大コケし、制作から編成に異動となった。「自分には制作能力がないと思って。自分も周りもダメなヤツだと思ってた」
そんな土屋氏に転機が訪れる。お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」が主演映画「七人のおたく」の撮影に専念にするため、3か月の穴埋め番組を制作することになり「暇なヤツいねぇかってなって、僕しかいなかった」と再び制作に携わることになった。
実はこの時、土屋氏は商社への転職を決意していた。「どうせ3か月だから好きなことをやろうと。松村に『渋谷のチーマーを更生させよう』みたいなことをやってたら意外や意外、それが当たっちゃった。辞めずに結局44年もいちゃったってことになるんです。不思議ですね、人間の人生って」
土屋氏が伝説のテレビマンたるゆえんは、企画力もさることながら企画を形にする企画具現力。その秘訣は「報・連・相をしないこと」だという。「ハナから相談するつもりがないから自分で全部具現する。極端に言えば誰も手伝ってくれなくてもやるという決意しかないから」と強烈なプライドをのぞかせる。
続けて「今みんな責任を取りたくないんだと思う。だから上に聞いて上がいいと言うからやる。もし何か起きたら『いいと言ったからやったんですよ』って。だからつまらないし、イノベーションが起こらない」と歯がゆそうに語る。
60歳になった時に還暦のお祝い返しに革製のティッシュケースを製作した。そこにラテン語で「死ぬまで企画者。死ぬまで演出者。死ぬまでバカ」と記した。土屋氏はその言葉をこれから具現化しようとしている――。
【東スポとの因縁も】
土屋氏と本紙には、浅からぬ因縁がある。2002年に「電波少年に毛が生えた 最後の聖戦」で「不幸な出来事が続く世の中にロマンを提供したい」をテーマに、お笑い芸人モンモンをカッパに変装させてカッパ伝説が語り継がれる岩手・遠野で潜伏生活をさせた。
「東スポで記事になったらゴールという設定でしたから」と本紙ありきの企画だったという。自然に発見されるのを待ったが「2か月誰も発見してくれなくて。で、しょうがないからカッパがいたという写真を報道各社に送ったんだけど、載っけてくれたのは、やっぱり東スポだけだった」。
そして同年10月24日付本紙1面に「カッパ発見」の見出しが大きく躍った。「その後に番組で『実はこういうことでやってたんです』ってやったら、その翌日かなんかの東スポが『あのカッパは電波少年のやらせだった』という記事が出て。そうか2回出るかって」と苦笑い。
さらに他局が「日本テレビがやらせ」と報道したことで騒動に発展。しかし、これは土屋氏の実験的挑戦でもあった。「僕らって演出なのかやらせなのかってずっと言われてきた。やらせって一体何なのかということをやるための企画でもあった。やらせとか演出とかを遊ぼうと思ってやった」と企画意図を明かした。
因縁のある本紙だが「カッパを載せてくれるのは東スポしかいないし。今回もいち社員が辞めただけで(記事を)書いていただけるなんて、ありがとうございます」と笑顔を見せた。
☆つちや・としお 1956年9月30日生まれ。静岡県出身。79年に日本テレビに入社。「電波少年シリーズ」の「Tプロデューサー」「T部長」の愛称で親しまれる。「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」など多くの人気番組を手掛ける。9月末で日本テレビを退社し、企画・演出会社「Gontents合同会社」を設立。













