「進め! 電波少年」の〝T部長〟はいかにして誕生したのか。数々の人気番組を手掛けた土屋敏男氏(66)は9月に日本テレビを退社し、企画・演出会社「Gontents合同会社」を設立。「死ぬまでモノを作り続ける」と話す土屋氏が師匠と仰ぐのが鬼才演出家のテリー伊藤(72)と〝視聴率100%男〟萩本欽一(81)だ。2人から学んだモノ作りの神髄について語った。 

 入社6年目に土屋氏はビートたけしの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に抜てきされる。そこで出会ったのがテリー伊藤だ。土屋氏は制作会社に出向という形でテリーら荒くれディレクターたちの中に1人放り込まれた。

 念願のバラエティー配属だったが、すぐに自信を打ち砕かれる。初めて制作した「オラ、東京さ行くだツアー」は青森県在住の家族が初めて東京に行く姿に密着するという内容。そのVTRをスタジオで流したが「200人のお客さんとたけしさんたち出演者、1人も笑わなかった。ゾッとしましたよ。VTRが終わって、たけしさんが開口一番『まぁ、このVTRは放送ではないですから』って言って、またゾワーとして」と背筋を凍らせた。

 なんとか放送されたがVTRは跡かたなく修正された。それから土屋氏のロケにはテリーが常に同行することになり「28歳でいい年なんだけど屈辱感あふれる感じだった」。そんな日々が半年続いたが、土屋氏の人生を決定付けることが起きる。「1人でロケに行って編集も直されなかったVTRで、お客さんとたけしさんが笑ったんですよね。体シビれちゃって。こんなに気持ちいいことない。あ、これセックスより気持ちいいなと思って」。ウケる=脳汁が出る快感に取り付かれ「お笑いディレクターで行こう」と決意した。

 テリーを師と仰ぎ「どうやったらこんな人になれるんだろう」と常に考え観察した。朝方に仕事が終わりテリーが運転する車で送ってもらっている時に「新宿を通ってると伊藤さんが『早朝ソープくだらねぇな』って言って。早朝という爽やかな言葉とソープという一番人間のむきだしの言葉が面白いとなって、それから早朝バズーカ(※注釈)が生まれるわけですよ」。

 テリーの天才的な発想力を近くで見てきた。テリーは作家たちが書いてきた大量のネタの使える、使えないを瞬時に判断し、ポンポンはじいていた。

「『なんでそんなことができるんですか』って聞いたら『俺は元気が出るテレビのことを1日に20時間考えている。彼らは大体、会議の1時間前に喫茶店で考えてくる。そんなモンは考えた後だから、俺が考えてダメだと思ったやつははじける。だから才能じゃないんだよ、かける時間なんだよ』って」

師と仰ぐテリー伊藤(左)とのツーショット
師と仰ぐテリー伊藤(左)とのツーショット

 その言葉は土屋氏のもう1人の師匠である萩本にも通じる。

「欽ちゃんもやっぱり言うんですよ。『うちに帰って考えたら数字(視聴率)は行く』って。心を奪われることなんだろうね。やっぱり狂気の人しかモノは作れない」。萩本はユーチューブにも進出し、チャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」(毎週月・水曜午後9時~)を開設。土屋氏もスタッフとして参加し、共に笑いを追及し続けている。

 もう一つ、2人に共通するのは、相談をしないということ。

「ネタ出しみたいな会議はやるんだけど、たった1人で決めるんですよ。『君はどう思う?』とかそんなモンない。テレビはみんなで作る物だけど番組って個人で作る物。テリー伊藤が作る。萩本欽一が作る。土屋敏男が作る。だからみんな違う。個性的だし、新しいものが生まれる」

 2人から得たものは何だったのか。「(番組を)当てたいという気持ちじゃなくて、自分の中を掘り下げて自分しか持ってない面白いモノを見つける。それを自分に課したんだと思う。むき出しの自分を出せばいいんだという事を見つけられた」と2人との出会いに感謝した。

※「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の名物企画の1つ。就寝中の芸能人をバズーカで起こすというドッキリ。