【前田日明(33)】リングスに集まった有望な選手たちは、高額のファイトマネーでPRIDEに引き抜かれていった。あっちこっちで俺が目をつけて話をすると、PRIDEのヤツらが契約しちゃうんだよ。

 ファイトマネーが2倍、3倍なら人間関係でとどまってくれたと思うけど、5倍、10倍になっちゃうと引き留められない。無差別級王者だったギルバート・アイブル(※1)も2000年7月まで契約が残ってたのに途中で引き抜かれた。あれはさすがに頭に来たよね。裁判もやったけど、向こうは違約金を払って引き抜くんだからどうしようもない。

 そのころは、いろいろなことがあった。車に乗ろうと思ったら前輪のタイヤのボルトが抜かれてるとか、悪質な嫌がらせを受けたりさ。俺を潰しに来ているのは明らかだったし、正直言ってどうしても許せないヤツが3~4人はいたよ。

 WOWOWとの契約もセンシティブな関係が続いていた。99年11月に「UFC―J」の会場で俺が安生(洋二)に襲撃された事件(※2)があったでしょ。いきなり後ろから殴打されてさ。普通だったら報復に行ってるよ。でも年末年始に契約交渉をしていたから、ここで暴力事件を起こしたらリングスの放送を切られてしまう。だから警察に訴えたんだ。

 そういう我慢もして何とか続いてきたWOWOWの放送も2001年をもって終了となってしまった。他の放送媒体も声をかけたんだけど、PRIDEとの引き抜き合戦で赤字に赤字を重ねていたから、時間的な余力がなかった。最後の最後まで頑張ったけど、リングスは活動休止になった。

 でもいま振り返るとリングスでの活動は、俺の人生のなかで癒やされた時間だった。人間不信はリングスで治った。特にロシア勢。エカテリンブルクで大会をやった後、1人だけ別室に呼び出されてさ。行ったら海外ネットワークのヤツ全員いたんだよ。「お前がいなかったら俺たちはどうなっていたかわからない。ありがとう」って言われて全員に抱きしめられてすごく感謝をされたんだよ。でもお礼を言うのは俺の方で「君たちがいなかったらリングスはつぶれてたよ」って。ロシア勢だけは高額のファイトマネーを提示されても最後までPRIDEに動かなかったからね。

 リングスの活動停止後の俺は、05年まで3年ほど表舞台から姿を消した。毎日ずっと釣りをしていたよ。そうでもしてなかったら…もしも業界に残ってたら、絶対に新聞に載るようなことをしちゃうなって思ってたから。どうしても許せないヤツらに対する怒りに、何とか自分でブレーキをかける日々を送っていた。

※1オランダ出身の総合格闘家
※2安生が99年11月に前田を背後から襲撃した刑事事件

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。

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