【前田日明(30)】1997年くらいからは試合をしてもまったく緊張しなくなって、それが逆に怖くなってきてしまった。こんな状態で試合してたら、大きいケガをしたり死んでしまったりするんじゃないかと。

 それで引退試合を考えた時にアレクサンダー・カレリンが浮かんだ。俺が91年にロシアへ行った時にすでに五輪金メダリストで名前も出ていたんだけど、引っ張ることができなくてさ。あれよ、あれよと有名になって、いつかはやりたいと思っていたんだ。

 そんな97年10月に高田(延彦)がヒクソン・グレイシーとやって負けた。俺は高田を呼んでヒクソンと同じくらいの体格の坂田(亘)使って対策やったんだけど、当日は最初から精神的にのみ込まれていた。高田は何もしてないでしょ。蛇ににらまれたカエル状態。「400戦無敗」とかハッタリでしかないのに、プロレスを経験してる人間がなんで、のみ込まれちゃうんだろうって。

 当時のマスコミは手のひらを返して高田を叩くし、このままじゃカッコ悪い。だからヒクソンたちと交渉し、ある時に日本でヒクソンブランドの服か何かを発表するというので、その時に俺との試合の「契約をしましょう」ってなった。でも成田に着いたら怖い人たちにヒクソンを連れていかれて終わりだよ。

 実は、高田が負けた時に「引退するかもしれません」とか言い出すから、俺は「カタキ取ってやるから引退とか言うなよ」と話してたんだよ。それなのに再戦(※1)って…最初から言えよ。こっちはやろうと思っていろいろなところに話して調整して。ルールもギャラも放送も決めて、会場も押さえたのにどうしてくれんねんって。

 もちろん、俺は(リングスの放映権を持つ)WOWOWからの信用を失ったよね。そういう金銭も名誉もズタズタにすることをいつも平気でするんだよね、アイツは。決まったあと俺にひと言もない。「実はあの時こうだったんです、話せませんでした」っていうんだったらともかく、俺には何も言わないんだよ。

 ヒクソン戦が消滅したことで、俺は完全にカレリン戦に向けてかじを切ることになった。俺自身もやりたいと言ったし、すでに動いてくれていた(ウラジミール)パコージンたちの信用をなくすのも嫌だった。俺らの感覚からしたら、ヒクソンがカレリンとやったとしてテークダウン取れるのって話。無理じゃん。評価も全然違うよ。

 ロシア勢に聞いたら「日本人はこんなどうでもいいヤツを評価して盛り上がってるんだ」って言ってたしね。カレリンの功績は時がたっても決して色あせない。最強の男と戦って現役を引退しようと思ったんだ。

※1 ヒクソンに敗れた1年後、98年10月のPRIDE4で再戦

☆ まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。

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