【前田日明(32)】引退後の1999年9月からリングスはKOKルールを採用した。当時パウンドありのルールはブラジルでさえリオデジャネイロ州でしか認められてなかった。パウンドなしの総合格闘技ルールが世界標準になると踏んでたんだよ。(クリス)ドールマンやWOWOWの桑田(瑞松取締役総務局長=当時)さんと「リングスは世界標準の競技にしよう」って、オランダと日本から米国に進出しようと頑張ってたね。

 10月に「KOKトーナメント」を開催し、優勝賞金を20万ドル(約2880万円)に設定。当時はPRIDEと選手の取り合いで張り合ってた。WOWOWと交渉して年間放映権料で3億5000万円を出してもらったんだけど、選手の契約金で赤字。ファイトマネーが高騰し、満員でも赤字になる大会があった。でも旗揚げ当初の赤字を好転させてきたから、頑張りどころと思っていた。

 出場メンバーは全部俺が決めた。自分で世界中を探し、スパーリングした選手を連れてくる。何年もやってるから実力は見るだけで分かるよ。アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(※1)、アリスター・オーフレイム(※2)とか、日本では無名でも後の王者ばっかりでしょ。ノゲイラは米国で試合してたんだけど、グラウンドで下になってポイントを失ったり、変な判定で負けていた。もったいないなと思って声をかけたんだよね。

 リングス勢でも(アンドレイ)コピィロフ(※3)が盛り上げた。彼は選手というより自分で立ち上げた警護会社が忙しくて、練習できてなかったんだ。スタミナが3分しか持たなかったんだけど、3分間なら最強。ウルトラマンって言われてたよ。第1回のトーナメントはダン・ヘンダーソン(※4)が優勝した。彼は藤原(喜明)さんタイプ。しつこいし気持ちが強い。バランスがいいし、死角がないし、打ち合えるし、ガッツもある。これから戦争に行くぞって時に仲間に誰を選ぶかと言われたら彼だよ。

 2000年9月にはエメリヤーエンコ・ヒョードル(※5)が初来日した。リングス・ロシアでは他に評価の高い選手がいたけど(ウラジミール)パコージンと話し合って「ヒョードルのパンチもっと強くしようよ」と。五輪代表のボクシングコーチをつけたら強くなった。拳が硬くて石で殴られたようなパンチを打つんだ。すごいな、コイツは一世を風靡すると思ってたよ。

 しかしそれだけでうまくはいかなかった。リングスが強豪の外国人を発掘するほど、PRIDEによる選手引き抜きが激しくなっていったんだ。

※1ブラジル出身の総合格闘家、UFC殿堂
※2オランダ出身のキックボクサー、2010年K―1王者
※3ロシア出身の総合格闘家、サンボ王者
※4米国出身のレスリング選手、総合格闘家
※5ロシア出身の柔道家、総合格闘家

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。
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