【越智正典 ネット裏】福山電波工業高(現近大付属広島高校)の投手、ヤクルト、巨人の浅野啓司が、この5月、東京をあとにして故郷福山に帰った。市から、市の野球の取りまとめ、組織づくりを頼まれてさわやかに帰郷した。

 浅野は、ヤクルトでは登板372試合。投球回数13671/3。対戦打者5591。奪三振831。完投40試合で70勝。通算防御率3・21。

 現役後、ヤクルトのコーチだったときは預かったブラジルの少年選手たちを慈しんだ。若い選手を引率してアメリカへ行ったときは、むこうのファームの選手を、上の級に上げるかどうかを決める会議にも出席。

「ストレートを打たれたピッチャーが、その次にそのバッターと対戦したときに変化球で打ち取っても上がれないのです。もう一度同じストレートで勝負して勝ったときにはじめて認められるんです。ホントの挑戦ですね」

 話は前後するが、巨人在籍のときもベロビーチキャンプで多くを見聞。新人原辰徳は洗濯係。プールサイドでのサヨナラパーティーでは、ナインが「ターツノリ、ターツノリ」と囃し立てると、背広のままプールに飛び込んだ。これも“挑戦”と微笑んでいた。

 プロのユニホームを脱いだあと、浅野は東京国際大学の監督(当時)だった古葉竹識に頼まれて投手団を預かった。もちろんアマ指導資格を取得している。古葉は車で広い校内グラウンドを移動していたが、浅野は自転車。一生懸命ペダルを踏み、漕いでいた。見に来ていた広島OB、長距離打者興津達雄が感心する。「古葉は浅野の姿に学ばなきゃあー」。興津は毎年、カープの先々代オーナー松田恒次の墓参を欠かしたことがない。

 同じ東京新大学リーグの医学校、杏林大監督荻本有一は苦労の連続。授業優先。終わってから吉祥寺校舎から中央線で八王子、八王子の奥の丘の上のグラウンドにみんなで集まれない。それでいて二部に落ちないのは荻本の人柄ゆえである。

「浅野さんにはお世話になりました。ピッチャーのワンポイントアドバイスを頂きました」。ワンポイント…が泣かせる。きかれたら放っておけない。といって立場もある。いい男だ。

 その浅野啓司。ハイ、帰って来ました。サアー、少年たちに野球を教えまーす、ではない。「福山には、福山ローズファイターズというチームがあるんです」。硬式野球部である。強かった風雲チーム常石造船のつながりだろうか。

「バラは市の花なんです。このローズファイターズを中心にみんなでまとまるんです」

 人口47万人。春はくわいが美味しい。初夏からバラの花。特産品は下駄。浅野は毎日、市の関係者や、学校の先生たち、少年野球、リトルリーグ、リトルシニアの役員さんや監督さんに挨拶回りに忙しそうである。福山城がキレイだ。 =敬称略=