弁護士が不倫の代償としてチン切りされた事件が話題になったが、今年は元祖“チン切り事件”からちょうど80年。阿部定(死没不明)の知られざる晩年を追跡した。

 定が勤め先の料亭の主人・石田吉蔵を首絞め情交の果てにあやめ、その局部を切り取り逮捕されたのは1936年5月。定は当時30歳だった。87年ごろまでは、吉蔵の命日になると山梨にある菩提寺の墓に、差出人不明の花が手向けられていた。おそらく定からのもので、供花が途絶えた同年あたりで他界したのではないかと言われてきたが、実はそれ以降も生き延びていたようだ。

 定と吉蔵それぞれの視点から希代の情痴事件に迫った小説「定、吉ふたり」(草凪優・橘真児著、双葉文庫)の解説で、作家・睦月影郎氏(60)が明かしているもの。カギを握っていたのは、81年に「パリ人肉食殺人事件」を起こした男性――と言えばお分かりだろう。

 パリ留学中、オランダ人女性を射殺し、遺体をバラバラにしてその肉を食べたS氏(66)だ。

「社会復帰後、猟奇犯罪の理解者としてマスコミに露出していたS氏が、92年ごろ、当時個人的に親しくしていた睦月さんを『阿部定に会いに行かないか』と誘ったんです。『彼女は伊豆にいる』と…。S氏は独自ルートでその居場所を突き止め、老人保養施設に入っていた彼女と極秘裏に親交を結んでいたようです。もちろん、物心両面で面倒を見るパトロンがいたのは間違いなく、年を取っても往年の魔性の女っぷりは健在だったのでしょう」と出版関係者。

 92年当時、定は87歳。高齢だが存命だったとしてもおかしくはない。

「S氏は定のことを『(吉蔵の局部を)食べてしまえばずっと一緒にいられたのにね』と話していたとか。ただ残念ながらその後、睦月さんはS氏と疎遠になり、結局、定には会えずじまいだったとのことです。最晩年の定は、温暖な伊豆で海を眺めながら余生を送ったはず」(同)

 さすがにもうこの世にはいないだろうが、生きていれば現在110歳。定が愛に狂った吉蔵と再会できたのは天国か、はたまた地獄か――。