第100回の記念大会となった全国高校サッカー選手権は、これまで数々の日本代表選手を生みだしてきた。同大会を50年にわたって中継してきた日本テレビの元スポーツ局次長で、Jリーグ東京Vの社長も務めた坂田信久氏(80)は、スター選手の誕生にも貢献した。


【高校サッカー100年の舞台裏(最終回)】第50回大会(1971年度)から決勝だけを放送していたNHKを排除し、日テレら民放各社選手権の中継を開始した。さらに開催地を開催から首都圏(東京、千葉、埼玉、神奈川)に移し、高校野球の甲子園に対抗するように「決勝は国立競技場」と打ち出した。集客にも取り組むことで、高校サッカーの認知度は高まり、スタジアムも満員になった。

 首都圏開催となった第55回大会(76年度)の決勝戦は、アニメ「赤き血のイレブン」のモデルとなった浦和南(埼玉)と静岡学園の激突。国立競技場は超満員となった。坂田氏は「プロサッカーのJリーグができる以前、一番観客を集めていたのは高校サッカー。スタジアムが満員になるのは実業団でも大学でもない。全国選手権しかなかった」と力を込めて振り返る。

 テレビ中継することで高校サッカーから人気選手も誕生した。坂田氏は「たくさんのスターが出てきたね。清水三羽ガラス(長谷川健太、大榎克己、堀池巧)とか。今だって大迫(勇也)とか、高校サッカー出身者は多い」。MF前園真聖(鹿児島実高)、MF中田英寿(山梨・韮崎高)、FW大久保嘉人(長崎・国見)らが日本代表へと駆け上がった。

 そんな中でも清水東(静岡)のFW武田修宏は1年生ながら県大会で得点王となり、選手権に出場。実力とともに甘いルックスもあってアイドル以上の人気を集めた。第62回大会(83年度)決勝の清水東―帝京(東京)は武田人気は過熱し女性ファンが殺到。国立は立ち見も含めて約6万5000人の超満員となり、スタンドに入れない人が競技場の周辺に約2万人もあふれたという。

 坂田氏は「こんなに来るとは思ってもみなかった。あのときは警察にも怒られたよ。でも、試合を見てもらいたいから、スタジアムの外にテレビを置いたんだ。(たくさんの人が集まって)昔の街頭テレビみたいだったね。この反省からチケット完売と、事前に告知するようになった」という。