16日に死去が分かったタレントの愛川欽也さん(享年80)が1977年、映画「トラック野郎・度胸一番星」を撮影していた新潟県の旅館で、「トラック野郎」シリーズでコンビを組んだ菅原文太さん(2014年死去)や映画について、本紙のインタビューで大いに語ったことがある。
「ある日菅原文太が映画の宣伝でぼくのテレビ番組に出てきたんだね。ピピッと何か感じることがあってね。今度一緒に映画に出ましょうなんて吹いちゃったんだ。現代版の股旅ものがいいななんて乗っちゃってね。まさかすぐ実現するとは思わなかったけどさ」
熱血トラック野郎の一番星に扮した文太さんと相棒の「やもめのジョナサン」こと愛川さんのドタバタコンビが繰り広げる、笑いと人情のドラマが人気を呼んだ。
「昭和1桁世代はさ、ガキのころは、あの見るのもいやな海藻めんとトウモロコシの粉で作ったパン食って育った欠食児童派でしょ。共通した気持ちは心情的に持ってるし、相手の考え方も手に取るように分かるんだ」
76年には東映「キンキンのルンペン大将」に主演するなど映画出演が続いていた。
「高校時代はもう、やたら映画を見ていたね。見て見て見まくったね。アルバイトして稼いでは即映画。そのうち、おれは絶対に俳優になろう、映画俳優になろうって決心したね」。だが、その夢が実現するまでには紆余曲折があった。
54年、俳優座養成所に入り、その後俳優座スタジオ劇団三期会に入り舞台に出演するが売れずに5年ほどで退団。さまざまな職業を転々とした。
「アルバイト生活者だったね。一番長く勤めたのが製薬会社のコピーライターだったかな。宣伝マンは性に合っていたようだ」
74年、夢だった映画製作に乗り出し「さよならモロッコ」を監督・主演。映画進出を果たした。映画人・愛川さんの原点だった。
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