「戦争博物館」の91歳館長が死去 生前本紙に明かした不戦への思い

2019年03月25日 17時00分

亡くなった栗林館長

 栃木県の「戦争博物館」(那須町)の栗林秀行館長(享年91)の葬儀が24日、営まれた。21日に死去した。

 栗林さんは毎年、終戦記念日の8月15日に軍服を着て東京都千代田区の靖国神社に参拝していた。その姿は有名だ。

 戦争博物館は激動の時代を後世に伝えるために、栗林さんが私財を投じて、数十年という歳月をかけて造りあげた。収蔵品は1万7000点に及ぶ。展示されている戦車や戦闘機、軍服、書類など、ほぼすべてが本物。足掛け50年にわたって収集された。以前、本紙は栗林さんに話を聞く機会があった。

「私はね、戦中は満州にいて、終戦後はシベリアへ抑留されたの。満州に行ったのは12歳だね。満蒙開拓青少年義勇軍に志願したんです。その後、陸軍幼年兵の獣医の養成部に入ったんだ。関東軍の馬が好きだからね。終戦のときは上等兵。それにしてもいっぱい仲間が死んだなあ。ソ連軍の攻撃を受けて、ときには180人いた部隊が1人しかいねえときもあった。2、3日たつとウジがわいてきて、カラスがやって来たり、野犬が来たりしてね」

 栗林さんが所属していた部隊がソ連に降伏後、3年におよぶシベリア抑留生活を生き延び、ソ連極東部にあるナホトカから軍艦に乗り帰国を果たした。

「私も太ももに銃撃を受けたんだが、これは盲管銃創っていって弾が抜けらんで途中で止まるやつだった。ソ連の自動小銃の弾は鉛がむき出しだから、鉛毒でやられるんだよね。3日もすると肉が腐ってくる。弾を取り出すにも麻酔がねぇから、ピンセットで(傷口を)かき回されて、みんな気絶しちまうだ。いやー、もう、ああいう負ける戦争はだめだよ…。勝つ戦争があれば、必ず片っぽは負ける。半か丁しかないんだからね」

 栗林さんはこのような戦争での体験から施設を造った。敷地面積6700坪、建物面積420坪の規模を誇る戦争博物館は、今後も継続して運営されることが決まっている。栗林さんの情熱は、引き継がれることになる。