【前田日明(20)】「長州力蹴撃事件」で新日本プロレスを解雇された俺は、1988年5月に高田(延彦)、山ちゃん(山崎一夫)に加えて、第1次UWFに入門してきた安生(洋二)と宮戸(優光)、中野(龍雄)の6人で新生(第2次)UWFを旗揚げした。山ちゃんと高田は新日本と契約寸前だったのに、こっちに来てくれたんだよね。
旗揚げ戦(88年5月12日、後楽園ホール)のチケットは発売から15分で完売。その一因には、マスコミが俺の解雇問題をあおったこともあったと思う。プロレスのカットプレー1個でなんでクビになるんだ、おかしいじゃないか、格闘技にケガはつきものじゃないかと。いろいろなところで取材もあったし、注目度が高まっていたんだよね。
そして当日、あいさつをしなきゃいけないと待っている時に、ふと思いついたのが「選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つ我にあり」という言葉だった。太宰治の「葉」という短編に書かれている一節で(フランスの詩人)ヴェルレーヌの言葉なんだけど「本当にできるんかな。でもやるからには誰もできないことをやるぞ」という気持ちもあって、ふと思い出したんだ。
新生UWFは月1回のビッグマッチ主体で成功を収めた。後になって「第1次のユニバーサルで佐山(聡)さんが主張していたことをやっただけじゃないか」と言われたりもするんだけど、あの時では、できなかったから。新団体が、何の信用もないのに大会場なんて借りられない。それが可能になった理由は、新生UWFはニッポン放送とマザーエンタープライズが応援してくれたから。第1次の時は信用もないし、協力者もいないし、カネもないし、観客動員もなかった。やりたくてもできなかった。
順調なスタートを切ったんだけど、早い段階からその裏では問題が起きていた。6月の札幌中島体育センター大会の前くらいに、田中正悟(※1)から「株式会社でやってるなら株式は大丈夫か。誰が何%持ってるかによって、会社はそいつのものになっちゃうんだよ」と言われたんだ。
当時の俺は株に関する知識がなかったから、旗揚げの時に神(真慈社長)に「神、鈴木(浩充専務)、前田、高田、山崎の5人で頑張ったんだから、権利を5等分にしてくれ」と言ってあった。それで神に「株はどうなっているのか」と聞いたら「ちゃんとやってますよ」と言ってたんだけど…。結局いつまでも不透明な経営が続き、帳簿を見せてもらえず、新生UWFの終焉にまでつながってしまったんだ。それはもっと後の回でまた話したいと思う。
※1前田が空手家時代の先輩
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












