【コロナに負けるな!有名人の緊急事態宣言】世の中の生活をガラリと変えた、新型コロナウイルスにはロッテ、巨人で活躍した元プロ野球選手の藤田宗一氏(47)も苦悩している。小中学生40人のメンバーが集う野球塾でコーチを務め、タレント業もこなすなど幅広い分野で活躍しているが、今はすべてを自粛中。どうしても暗く沈みがちになる中、努めて前向きに生きていこうと心がける胸の内を聞いた。

 新型コロナウイルスの蔓延により、世間と同じく藤田氏の生活も一変。まず頭をよぎったのは子供たちのことだった。2年ほど前から野球塾「足立ベースボールアカデミー」でコーチとして元ロッテの佐藤兼伊知氏とともに毎週末、多くの小中学生たちを指導していたが、チーム活動の休止という選択を取らざるを得なかった。

「毎週来てくれていて、メンバーの皆が喜びを感じながらレベルアップしていた矢先。この状況がいつまで続くのかは分からないですが、指導者としても正直、不安を感じています」

 感染拡大を防ぐため、チーム活動を自粛しなければいけないことは、よく分かっている。だが、それでも子供たちが歯を食いしばりながら練習に励み、日々成長していく光景を目にしていただけにとてもつらい決断だった。今は子供たちの父兄と連絡を取り合いながら、自宅でできる自主トレーニング法やメンタル面についての助言も行っているという。

 野球塾を中心とした指導のほかには、イベントやテレビ番組への出演などタレントとしても活動。4月20日放送の「有吉ゼミ」(日本テレビ系)では同じくロッテで“勝利の方程式”をともに担った小林雅英氏とともに、ギャル曽根らを相手にしながら大食い対決にチャレンジしたが、この番組は自粛要請が出る前の3月中に収録された内容だった。もちろん、今は「STAY HOME」を心がける毎日を過ごしている。

「仕事の場が断たれてしまったわけですから正直、きつい状況ですよね。今は買い物やランニングをするぐらいでせいぜい3日に1回ぐらいしか、外出していません。でも、生きていくため前向きになっていくしかない。今は家の中でなるべくマイナスのことを考えないようにしていますね。終息したら、こういうことをやろうとか、いろいろ頭の中で想像を膨らませ、ビジョンを描くようにしています。そうするだけでも、だいぶ時間は有意義に過ごせますよ」

 2018年までは東京・赤坂で焼き肉店を経営していた。自ら肉の知識と包丁さばきを身につけ、多くの来店客でにぎわっていたが、先輩OBたちから野球界への復帰を促されたことで一大決心。少年野球の指導者として復帰することを決めた経緯がある。だからこそ、コロナ禍で飲食業の人たちが苦境にあえぐ姿を人ごととは思えない。

「知り合いにも飲食関係で生計を立てている人は多くいますが、自分よりも厳しいと思います。店を借り上げていれば家賃もかかるし、従業員のことも考えなければいけない。それでも売り上げがないまま情け容赦なく“ヨーイドン”で物すごい額が飛んでいってしまう。政府の決断は遅すぎますよ。あらゆる業種も含め、もっとスピーディーに補償のことを考えてほしいです。困っている人たちは世の中にたくさんいるんですから」

 プロ野球界のことについても「選手たちは本当につらいと思います。たとえば自分は投手でしたから、調整が大変であることはよく分かります。特に先発投手は毎日いつでも投げる準備をしておく必要のある中継ぎと比べると、どこにピークを持っていけばいいか分からないのでキツイはずです。筋力を落とさないことも必要でしょうし」

 プロ野球が開幕し、日常が戻ってくるその日を、藤田氏も願っている。

☆ふじた・そういち 1972年10月17日生まれ。京都府出身。島原中央高校で2年生から左腕エースとして名をはせ、社会人・西濃運輸では抑えとして活躍。97年のドラフトで3位指名を受けたロッテへ入団。ルーキーイヤーから一軍に定着し、56試合に登板し、6勝4敗、防御率2.17。2000年に最多ホールド(19H)のタイトル。05年は45試合に登板し31年ぶりとなるチームの日本一に貢献。06年には第1回WBCで日本代表に選出され、世界一に。07年オフに巨人入りし、11年はソフトバンクでプレー。12年に独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスで選手兼任投手コーチ補佐を務め、同年限りで現役を引退した。