イラン戦争での米国とイランの戦闘終結合意において、アラグチ外相は「イラン側の実務責任者兼メッセンジャー」という重要な役割を担っている。そのアラグチ氏は2008~2011年まで駐日イラン大使を務め、その時の経験を著した2年前の著書「イランと日本 駐日イラン大使の回顧録 2008―2011」(論創社)に注目が集まり、増刷となった。
同書は、アラグチ氏が在任中の4年間に東日本大震災を体験したことも含め、日本の要人と面会を重ねつつ、日本各地を訪問し、日本人への理解を深めた〝日本論〟となっている。
著書の中には、バブル経済期に来日したイラン人10万人のうち、2000~3000人が残り、そのうち10~20%が犯罪に手を染め、〝イラン人ヤクザ〟が誕生したとの分析もあった。
アラグチ氏は「ごく限られたイラン人犯罪者は、当初は偽造テレホンカードの密売から始め、徐々に麻薬の密売に映り、ヤクザの手先となっていった。在日外国人犯罪者の間で、ある種の仕事分担があることは有名だった。フィリピン人犯罪者は売春、中国人はコソ泥、イラン人は麻薬の密売だった。麻薬は日本のヤクザが密輸し、密売をイラン人に任せていた」などと、当時の外国人犯罪事情について明かしている。
また、著書では、一般には知られない天皇陛下への信任状捧呈の舞台裏が記されている。信任状捧呈式の1週間前、宮内庁の儀典関係者がイラン大使館を来館し、天皇陛下(上皇陛下)との謁見や信任状捧呈の際の説明を受けたという。広間の入る際には、最初に首を傾ける程度の小さなおじぎをし、陛下の前では深くお辞儀をしてくださいとのことだった。
アラグチ氏が「首を傾ける程度であれば問題ないが、おじぎは勘弁してほしい。われわれムスリムは、唯一神の前でのみ両手を膝にあて、おじぎをします」と言うと、儀典関係者は「問題ありません。よきようになさってください」と応じ、問答になるようなことはなかったという。会話についての事前の詳細な聞き取りもあったという。
さらなる説明として「天皇の前では、天皇が会話を始められるのであり、大使の方から話し掛けてはなりません」との注意もあった。しかし、アラグチ氏は〝よい感情を持ってもらえるように〟と、会話の最後に「日本にはよい思い出があり、それはハネムーンで訪れた時のことです」と切り出した。
その時のことについて「天皇は非常に興味をもたれ、『日本でのよき思い出をお持ちのことをうれしく思います』と語ってくれた。しかし、通訳は混乱したようだった。式は無事に終わり、皇居を後にするや否や、通訳は不満ありありの様子で私に『大使、ハネムーンの話をどうして前もって教えてくれなかったのですか? これはとても大事な話題で、必ず謁見の前に天皇陛下にお伝えする必要があったのです。天皇陛下はなぜこれほど大事な話題を教えてくれなかったのですかと、われわれ外務省に抗議することでしょう』と詰め寄った」と振り返った。
アラグチ氏はこのエピソードから「事前準備は日本の職業倫理の必要不可欠な要素だ。日本人は、あらゆるテーマや出来事について何度も調整とレビュー、再考をし、突然の予測されていない事態を避けるため、全力を注入する。われわれイラン人がギリギリのところ、90分の試合終了間際のところで力を発揮する国民であるのとは真逆なのだ。イラン人は危機的状況に置かれて初めて頭が回転し始め、やっと問題を管理し解決する意欲が湧いてくる」と、日本人とイラン人の国民性を比較している。












