国民民主党・榛葉賀津也幹事長は6日、国会内で会見。2日に心不全で死去した元衆院議員の大塚耕平氏を悼んだ。

 日本銀行職員を経たあと2001年、参院選愛知選挙に当時の民主党から立候補して初当選した大塚氏。民主党政権では内閣府副大臣、厚生労働大臣を歴任した。

 24年11月の名古屋市長選挙に出馬したが落選。今年2月、国民民主党は衆院選(8日投開票)で、愛知6区への擁立を検討したが、大塚氏側が体調不良を理由に辞退していた。

 大塚耕平事務所は5日に、大塚氏が2日に66歳で逝去したことを発表している。

 榛葉氏は大塚氏と2001年参院選で民主党から立候補し初当選した同期。榛葉氏は「記者会見でこのことを聞かれると思ったけどね…もう一人の自分がいなくなった感じだね。この5年間、苦楽をともにしたのみならず、2001年、(自民党の)小泉旋風が吹き荒れるなかで初当選した同期です」と沈痛な表情で述べた。

「私は最年少で34歳。20名弱いた仲間がみんな落選や引退をして最後に残った2人が、最も優秀だった大塚耕平と、もっともデキの悪かった榛葉賀津也が残った。衆議院で希望の党を作って、われわれが民進党に残って大塚さんと2人でね、『どっちかが代表をやるしかないか』と。2人ずっと話して『大塚さん、やれよ。俺が支えるから』。今度、国民民主党ができて…」

 大塚氏が名古屋市長選に立候補したことについも言及。「大塚さんが国会を去る決断をして『ふるさと名古屋のために頑張りたい』と決めた夜も、夜通し飲み明かしました。結果、その後、このような(落選という)結果になって古川(元久代表代行)さんとも話して『衆議院でもう1回勝負をしようよ!』と言っていた矢先だったので、心からご冥福を祈るのと同時に…言葉ないね。本当に残念です」と語った。

「〝知の巨匠〟だったんだからね。『歩くシンクタンク』と呼ばれていたんだよ。私は『歩く生だる』と言われたけれど。本当に惜しい人を亡くしました。心からご冥福をお祈りします」と述べた。