【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(最終回)】2023年12月27日。現役引退後に陸奥部屋付きで指導していた私は、独立して東京・墨田区向島に音羽山部屋を開設しました。最初は力士2人からのスタートでした。その後に陸奥部屋が閉鎖されたことで霧島が合流し、25年9月の秋場所の時点で10人の力士が所属しています。

指導者としての決意を語った音羽山親方(25年6月)
指導者としての決意を語った音羽山親方(25年6月)

 引退後に指導者の道に進むと決めたのは横綱時代のことです。師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)から「将来はどうするの?」と聞かれて、力士を辞めた後のことを考えるようになりました。師匠に「相撲協会に残って恩返しがしたいです」と伝え、18年ごろから親方になるために必要となる国籍変更の手続きを始めた。そして、20年12月に日本国籍を取得しました。

 全ては自分で決めたことだし、国籍が変わることに抵抗はなかったですね。両親も自分の選択を尊重してくれました。ただ、昔ほどではないにせよ、母国モンゴルでは快く思わない人もいた。旭天鵬関らの時代はもっと大変だったと思うし、先輩たちも「みんな騒ぐけど大丈夫だよ。俺たちの人生は、ここにあるんだから」と言って背中を押してくれました。

 部屋の師匠として指導するにあたっては、こちらが教えることを弟子たちが理解して納得することが大事だと思っています。親方が頭の中で分かっていても、弟子が分かっていなければ意味がない。人から言われたことを、ただ「流れ作業」のようにこなすだけでは、いつまでたっても身につきません。それこそ、時間の無駄になってしまいます。

 稽古やトレーニングの意味や理由を、ちゃんと言葉で「これは何のために必要なのか」と説明する。相撲の技一つを取っても、口で言うだけでは分からない。実際に自分が組んで手取り足取り教えることを心掛けています。

 指導者としての目標は、自分と同じ番付の横綱を育てることです。そして、弟子の一人ひとりが人としても成長してほしい。誰もが横綱大関や関取になれるわけではありません。相撲を辞めた後も、その子の人生は続いていく。力士を辞めた時に、この音羽山部屋に入って良かった、私の弟子になって良かったと思ってもらえるように。

 15、16歳の年齢で入ってくる子もいるし、人生の大事な時期を預けにきている。その間の人生が無駄だったと後で思ったら、悲しいことですから。一部の子だけに目を向けるのではなく、弟子のみんなを見てあげないといけない。もちろん大変なことですけど、世の中に大変じゃないことってないと思うんです。

 自分が力士として経験してきたことを生かしながら、これからも親方としての相撲人生を一生懸命に頑張っていきたいですね。 (終わり)