【取材の裏側 現場ノート】プロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修さんが2月28日に53歳で死去し、マット界はいまだに深い悲しみに包まれている。

 7、8日の葬儀には関係者が多数出席し、故人の人柄がしのばれた。西村さんは1998年8月、最初のがんが発覚。実に26年以上もがんとともにリングで戦い続けた。

 一方で記者には、若手時代から「律義な男」という印象しかない。97年9月、故アントニオ猪木さんはプロレスに転向したばかりの元柔道世界王者・小川直也を連れてオランダで合宿を張っていた。打ち上げの日、猪木さんは宿泊したホテルで食事会を開いてくれたのだが、なぜか西村さんも同席した。

 同年5月からスタートした海外武者修行の真っ最中でドイツの団体・CWAで戦っていた。オランダにいる理由を問うと、西村さんは「猪木さんにあいさつに来ました」とニコニコ顔で答えてくれた。オランダとドイツは隣国とはいえ、当時26歳の若手レスラーが気軽に来られる距離ではなかっただけに驚いた記憶がある。西村さんはドイツでの生活や小川についてなども、丁寧に語ってくれた。記者の力不足で記事が掲載されなかったことは、いまだに申し訳ないが…。

 葬儀に参列し、号泣しながらひつぎを運んだ元WWEスーパースターのKENSOこと鈴木健三氏は、こうコメントしてくれた。「プロレスラーとして約25年やってきた。そのキャリアの3分の1は海外(米国、メキシコ)だったから、とにかくたくさんのレスラーのいろんな死に方を見てきた。そのたびに心の許容範囲は悲鳴を上げるようにジリジリと広がった。しかし今回の西村先輩の死はそんな俺の心の許容範囲を超えてる。眠れないです」

 WWE時代は米フロリダで同じマンション区間に住み、妻のひろ子さんともども公私にわたってサポートを受けた。WWEを退団して帰国した際には、米国に残してきた自動車も西村さんが処理してくれたという。

 いかにも律義な西村さんらしい話。西村さんを取材した多くの本紙記者も満遍なく〝ネタ〟を提供してもらった。心からご冥福をお祈りします。

(運動部・初山潤一)