【石井和義の光と影#28】1993年の第1回大会以降、大成功を収めたK―1を企画・運営していた会社「ケイ・ワン」の脱税事件で、社長を務めていた僕は、2004年1月14日に東京地裁で1年10月の実刑判決を受けました。06年に最高裁から上告棄却され、実刑が確定。07年6月11日に静岡刑務所に収監されました。
刑務所は思った以上に規則が厳しくて、何もできませんでした。収監される前には「せっかくだから体を鍛えよう」とか思っていたんですけどね…。運動時間は1日30分と決まっているんですが、それは出入りなど移動や準備を含めての時間で、グラウンドにいられるのは実質10分程度なんです。おいしい外の空気を吸って散歩したら終わりですよ。
それでも最初は腕立てとかシャドーとか空手の形をやっていたんですよ。そうしたら担当さんに「石井、悪いんだけど、そういうのはやめてくれ。みんなが見ていて刺激するから」と止められてしまって(苦笑い)。部屋での休みの時間もあるんですけど、その間はずっと座っていないといけませんでした。漫画や映画の中で見ていた刑務所は、部屋の中で筋トレしたりしていたけど、実際はできません。
だから、手紙を書きながら自分の半生を振り返ったり、本を読んだりして時間を過ごしていました。そういうふうにして、退屈な刑務所暮らしを僕なりに“エンジョイ”していたんです。最初の半年間はK―1の運営を引き継いでいた「FEG」の関係者も面会も来なかった。だから、そちらも順調だと思っていて「このままやってもらえれば…」と比較的のんびり構えていたんです。
ところが、刑務所に入って半年を過ぎたあたりからFEGの関係者から「お金が足りない」と手紙がくるようになりました。僕としては「なんで?」となるわけです。捕まっても、テレビの地上波放送はあったし、チケットも売れていた。それにスポンサーも付いていた。その上、前回お話しした通り、収監される前に、僕が連帯保証人にもなってある会社から数億円のお金も借りていましたから。
不思議に思っていたらFEGの関係者が静岡まで面会に来て、今度は「“K―1”の商標をFEGに移してください。運営していく上で会社が持っていないと困るので」と言われました。K―1の商標は、僕が個人で持っていたんです。でも個人の商標を会社に移すなんて普通できないじゃないですか。ましてや収監中の身。だから「あと半年で出られるから、その時に話しましょう」って言って帰しました。
そんな状況でしたから、出所後はまずK―1がどんな状況になっているのかを把握することが急務になりました。すると…。













