【石井和義の光と影#19】1995年3月3日の「K―1 GRAND PRIX 95 開幕戦」から参戦し、パワーあふれるファイトで“K―1の番長”と人気を博しましたジェロム・レ・バンナ(フランス)も思い出深い選手の一人です。

 しかし98年にドン・キング(※)とも契約したんです。契約をする時にキックボクシングの競合団体との契約は禁止だけど、ボクシングは禁じていなくて、その盲点を突かれました。ただ当時のバンナは、そこまで重要な選手ではありませんでした。体力面で圧倒的なポテンシャルがあったけど、技術や精神力で弱い部分があったので「なら次を探したらいいや」と思ったんです。

 ところが1年くらいしてバンナから「米国で練習はしているけど、全然試合を組んでもらえない。飼い殺しになっている。なんとかしてくれ」と“泣き”が入ったんですよ。なぜそんな状況なのか知らないし「さすがにムシが良すぎないか」ってね。でも「ボクシングの技術を学んで戻ってきてくれたらええわ」って思ったし「頼まれた以上はなんとかせんとあかん」というのがあった。そして理由はどうあれ、契約して、すぐ使わないというのは交渉の余地ありと思ったんです。

 そこでドン・キングの事務所に「K―1を米国で展開するための知恵を借りたい」とアポを入れて、98年8月7日のラスベガス大会のときに会ったんです。その際に「K―1のプロモーション映像だ」といって、バンナがKOされているシーンを多く入れたVTRを見せた。バンナってスタイル的に派手に倒されることも多かったから素材には困りませんでしたよ。

 そうしたらドン・キングが笑い出して「バンナは壊れてるやんけ」みたいな感じ。狙い通りの反応を得て「彼はK―1なら蹴りもあるから戦えるけど、顔ばかり叩くボクシングは無理だよ」と説明し、本人も望んでいるから契約を戻してほしいと…。そしたらドン・キングは「こいつ、やるなあ」って感じでした。意図はバレていたと思うけど、契約に関しては了承してもらいました。

 その後、ドン・キングから「一緒にビジネスをしないか? 俺たちが組めば面白いことができるぜ」って。だけど僕、勘だけはいいので「この人とやったら大変なことになる」と、うまくごまかしました。そしたら別れ際「ラスベガスは安全な場所だけじゃない。物騒な町だから気を付けろよ」って言われて「物騒なのはお前だろ」と思いながら適当にあいさつしたんですが、まさかあんなことになるとは…。

 ※ ボクシングの世界的プロモーター。世界王者モハメド・アリやマイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールドらスーパースターのイベントを手がけた。

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