【石井和義の光と影#18】「青い目の侍」と呼ばれたアンディ・フグ(享年35=スイス)は1996年5月6日「K―1 GRAND PRIX」決勝でマイク・ベルナルド(南アフリカ)に勝って悲願の初優勝を果たすなど、順調に人気を獲得していきました。
その注目度は国内にとどまらず国際的なものになって海外でもビデオとかテレビで見られるようになっていったんです。特に母国スイスでのアンディ人気はすごく高かった。国営放送で試合を放送したら視聴率50%までいきましたからね。余談になりますが、そのアンディのマネジャーをしていたトーマスという男が相当なやり手で、いろんなところにネットワークをつくっていて、我々と国際サッカー連盟(FIFA)をつないでくれたんです。そこでFIFAの放映権を売っている会社と契約して「これでサッカーとともにK―1を広めていこう!」っていうところまでいったんですよ。
そんな人気絶頂の最中だった2000年8月24日、アンディは急性前骨髄球性白血病で帰らぬ人となります。最初は「ただの風邪で熱が下がらない」と体調不良な程度でした。それで「ちょっと病院に行ってくる」と言って、そのまま緊急入院。病院に行ってから1週間も持たなかったと思います。本当にアッという間でした。
お見舞いに行ったらチューブにつながれていて病室には入れません。ガラス越しに会ったアンディは目に涙をためて「これを公表してくれ。この病気で苦しんでいる人のために頑張って、勇気を伝えたいんだ」。最後まで“アンディみたいなこと”を言ってましたよ。その後に容体が急変。心臓が3回くらい止まったけど、みんなで「頑張れー!」って言うとまた動き出すんです。でも最期は、お医者さんが「もういいでしょう。逝かせてあげましょう」と…。アンディは、それくらい頑張ったんです。
アンディからは「僕が死んだら、戦国武将たちが眠る京都の大徳寺にお墓を造ってほしい」と言われていたので、約束通り大徳寺の芳春院にお墓を立てました。ヒクソン・グレイシー(ブラジル)もお参りに来てくれたんです。その時、同じ大徳寺に眠る千利休のお墓にも「行きたい」っていうから連れていって。お寺も中まで入らせてくれて、ヒクソンはそこで瞑想していました。
このアンディの不幸とともに、僕自身にも“影”がさし始めます。人間は、絶好調で運を使ったら“徳分”が減るんですよ。そして、マルサ(東京国税局査察部)が入ることになるわけですが、その前に、ジェロム・レ・バンナ(フランス)を巡る“世界的大物プロモーター”ドン・キングとの対決にも触れておきましょう。












