【今週の秘蔵フォト】シンガー・ソングライターとして4つの世代でオリコンシングルチャート1位を獲得。他のアーティストへの提供曲も、5つの年代にわたりオリコン1位を獲得するなど、日本ポップス界で揺るぎない地位を築いたのが中島みゆきだ。

当時、中島みゆきは25歳
当時、中島みゆきは25歳

 1952年2月、北海道・札幌市出身。アマチュア時代からフォーク界では名だたる存在で、75年5月にはヤマハ「ポピュラーソング・コンテスト」で入賞。同年9月にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。2枚目のシングル「時代」がヒットして一気に注目を集める。77年11月4日付本紙では、中島の貴重なインタビューが掲載されている。9月に5枚目のシングル「わかれうた」が発売された直後だった、

「あんの、私は季節労働者だからね。なんとなく冬が来る前が好きなのよね」。当時はまだ札幌に在住。9月から12月までの全国ツアー31公演の最中で、いずれも満員を記録して「プロなんて言われると、何だかからかわれているみたいで…。でも金もうけているんだから、そこはそうなんでしょうが、ね」とアッサリ語る。この時期のいでたちはフォークシンガーそのものだが、写真を見ると素朴ながらも顔立ちは美形だ。

多彩な表情をみせてくれた
多彩な表情をみせてくれた
いたずらっこのような表情も
いたずらっこのような表情も

 レパートリーは常時150曲前後で「偶然の産物なのよ。理論じゃ書けないわ。どうにも気分が乗らない時は、気分が重くって。鏡に向かって何でこんな因果で…と自問自答しながら、現実との食い違いで涙ぐましい努力をしてるの」と創作活動の苦労を語った。

「わかれうた」はこの時点でチャート28位。じわじわと順位を上げていき、最終的には中島初の1位曲となる。

 当時は日吉ミミ、研ナオコ、桜田淳子らにも曲を提供。TBSラジオ「ヤマハフォークイン」でDJを務めるなど活躍していた。札幌在住で事あるごとに“出稼ぎ”に来ると笑いつつ「何やかんやで不便はないわ」と語った。ススキノに繰り出しては「いつまでもいじましくチビチビと飲んでるの」と明かした。

ジーパン姿が似合っていた
ジーパン姿が似合っていた

 結局「わかれうた」が1位を記録すると、その後も「悪女」(81年)、「空と君のあいだに/ファイト!」(94年)、「旅人のうた」(95年)、「地上の星/ヘッドライト・テールライト」(2000年)などの名曲で1位を獲得。ユーミンこと松任谷由実と並んで、日本ポップス界の“大御所”として傑作を発表し続けている。