8月30日、モスクワ市内の病院で、旧ソ連で最初で最後の大統領だったミハイル・ゴルバチョフ氏が逝去した。91歳だった。

 ゴルバチョフ氏は自由と民主主義という価値観は普遍的であると信じ、ペレストロイカ(立て直し)を遂行した。新思考外交を展開し、「欧州共同の家」を構築しようとした。具体的には米国と軍縮交渉を行い、中距離核兵器を全廃し、欧州にもソ連にも中距離核兵器が1つも存在しない状態を作り出した。経済改革も行ったが、あくまでも社会主義の枠内にとどめ新自由主義的な市場経済への移行は考えなかった。

 ゴルバチョフ氏がペレストロイカを行ったのはソ連国家を強化するためだった。国家体制を維持するためには武力の行使にも躊躇しなかった。アゼルバイジャン、ジョージア、リトアニアなどの民族反乱に際しては軍隊を投入し、流血の惨事になった。

 ゴルバチョフ氏にとってこれらの行動は矛盾していたわけではない。ゴルバチョフ氏は、死ぬまで社会主義が正しいと信じていた。社会主義をスターリン主義というロシア固有のものではなく、世界革命を行うことができる普遍的価値観に転換することをゴルバチョフ氏は考えていた。すなわち、自由や民主主義という普遍的価値観を徹底的に追求すると、世界で社会主義革命が起きるとゴルバチョフ氏は考えていた。

 ゴルバチョフ氏の夢は崩れ、ソ連は崩壊し、新生ロシアでは新自由主義的な構造転換が行われた。ゴルバチョフ氏はエリツィン大統領時代のこのような転換に極めて批判的で、自らを社会民主主義者と規定し、政権に対抗する勢力を作ろうとしたが、国民の共感をほとんど得なかった。

 エリツィン氏に否定的なのに対して、ゴルバチョフ氏の、プーチン氏へのプーチン現大統領への評価は高い。それはプーチン氏がロシアの国家体制を強化したからだ。

 ゴルバチョフ氏は、プーチン大統領がチェチェンの分離独立派を力で封じ込めたことや、2014年のクリミア併合を支持した。1991年のソ連崩壊時に現地住民の意向を踏まえずにクリミアはウクライナ領とされたので、民意でロシアへの編入を歓迎するというのがゴルバチョフ氏の立場だった。ゴルバチョフ氏とプーチン氏には連続性がある。

 ☆さとう・まさる 1960年生まれ。東京都出身。85年、同志社大学大学院神学研究科を修了し、外務省に入省。ソ連崩壊を挟む88年から95年まで在モスクワ日本大使館勤務後、本省国際情報局分析第一課で主任分析官として活躍した。2002年5月、背任容疑などで逮捕され、09年6月に執行猶予付き有罪判決が確定した。2020年、「第68回 菊池寛賞」を受賞した。最新著書は「日本共産党の100年」(朝日新聞出版)がある。