〝最強姉妹〟の絆とは――。4月に現役を引退したスピードスケート女子の高木菜那(29)は、2018年平昌五輪で日本女子初の2冠を達成した。妹の高木美帆(28=日体大職)も金、銀、銅メダルをコンプリートし、北京五輪では金を含む4個のメダルを獲得。本紙単独インタビューの第2回では、菜那の言葉を通して姉妹の関係性に迫る。お互いに高め合い、世界のトップで戦ってきた2人の間には本人たちにしか分からない特別な思いがあった。

 複雑な思いが菜那の心を駆け巡った。中学時代から日本一に輝く有望な選手だったものの、美帆は2010年バンクーバー五輪に中学3年生で出場。周囲からは「美帆の姉」として見られ、テレビの取材時には菜那に対して「美帆選手の妹ですか?」と聞かれたこともある。

 菜那 葛藤が一番大きかったです。年下の妹や弟に負けるのは誰もが体験したら悔しいと思うし、それをどうやって消化するかとか、認めないといけないこととか、正直あまり覚えていない部分もあるけど、いろんな思いがありました。悔しい部分は見せたくなかったし、見せていたら周りの人たちがいい気分にならないので。でも、今の自分があるのはそういったことがあったからですね。

 年下の妹に先を越された悔しさ。なかなか心が晴れない日々が続いた。しかし、上には上がいる。美帆の応援に足を運んだバンクーバー五輪と、高校卒業後に入社した日本電産サンキョーで自分の視野の狭さに気づかされた。

 菜那 それまで私の中でもスケートに関しては美帆に負けたくないという気持ちが強かったけど、バンクーバー五輪を見に行ったり、世界のトップ選手と一緒に練習して、世界はこんなに広いんだ、強い選手がこんなにもたくさんいるんだなと感じました。所属先にはバンクーバー五輪のメダリストの長島圭一郎さん(男子500メートル銀)と加藤条治さん(同銅)がいて、プロ意識の強さや結果を残すための姿勢を間近で見て、スポーツに対する向き合い方や、自分が速くなるためにどうしたらいいのかなどを学びました。

 世界を知り、トップ選手のすごさを肌で実感する上で「自分の道は自分で作るもの。自分で選択して決めていくもの」と心得た。自分は自分――。人生において出会う人たちは当然違う。シンプルな思考にたどり着いた菜那は、4年後のソチ五輪に出場。そして、平昌五輪では2冠を成し遂げた。壁を乗り越え、自らの足で道を切り開いてきたがゆえに、美帆について決して多くを語ることはなかった。

 菜那 美帆のことが嫌いとか、美帆を褒めちゃいけないとか、そういうことではなくて、何か兄と妹みたいな感じになっちゃうんですよね。すごいいい子だねと褒めまくるのも、娘じゃないですからね(笑い)。ほぼ友達みたいな感覚ですし、本当にすごいんですって言いまくる姉ってシスコンみたいな感じになってしまうと思うし、そういう姉妹じゃないので。私たちは姉妹のことを尊敬していないわけではないし、リスペクトしているところもあるけど、口に出すことはほとんどしないですね。だからこそ、この距離感をずっと保っていけているのだと思います。

 年齢差はわずか2つ。幼少期から長い時間を一緒に過ごしてきた。進学や就職を機に、一度離れたとはいえ、15年からはナショナルチームでともに切磋琢磨してきた。お互いのことを知り尽くす一方で、美帆も菜那と同様に多くを話すことはなかった。ところが、4月5日に姉妹が別々に行った会見では、それぞれの思いを口にした。

「妹がいたからスケートを続けられた。本当に妹でよかった」(菜那)

「恥ずかしいが、姉が姉でよかった」(美帆)

 公の場で、2人がはっきりと感謝の言葉を伝えたのは初めてのことだった。

 菜那 姉妹でもあり、ライバルでもあったので、あまりお互いについて話すということはあえてしてきませんでした。でも、引退を機に立場が少し変わるので、感謝も込めて話しましたが、いろいろと取り上げられてしまったことはちょっと恥ずかしかったです(笑い)。

 姉妹であり、ライバルであり、チームメートでもあった。普通の姉妹とは異なる境遇を歩んだかもしれないが、険しい道を突き進む中で再認識したものがある。「姉妹でよかった」。今後は新たな形で絆を深めていく。

(敬称略)

 ☆たかぎ・なな 1992年7月2日生まれ。北海道出身。兄の影響で小学校1年からスケートを始める。高校卒業後、日本電産サンキョーに入社し、2014年ソチ五輪に出場。18年平昌五輪では、団体追い抜き(パシュート)とマススタートで金メダルを獲得。夏季を含めた五輪の同一大会で日本女子初の2冠に輝き、紫綬褒章を受章した。北京五輪は1500メートルで8位入賞、パシュートで銀メダル。4月に現役引退を表明し、現在はテレビ出演など幅広い分野で活躍している。155センチ。