自民党や民主党で要職を歴任した石井一(はじめ)元自治相が急性心不全で4日に死去したことが6日、分かった。87歳だった。同じく両党で幹部を務めた小沢一郎衆院議員(80)と当選同期で、「政局の陰にピン(石井氏の愛称)あり」といわれたキーマンで、武勇伝にも事欠かない政治家だった。
石井氏の訃報に小沢氏の事務所ツイッターは「とてつもなくエネルギッシュで、決断してどんどん前へ前へと突き進んでいくタイプの情熱的な政治家でした。いつでも日本の将来を見据え、この国の政治はどうあるべきかを真剣に考えておられました」と追悼した。
1969年に衆院で初当選し、小沢氏らとともに田中角栄元首相の側近として活動する中、一躍、有名となったのは77年に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件だ。運輸政務次官だった石井氏は日本政府の派遣団長として、バングラデシュの現地入り。「自分が代わりに人質になる」と日本赤軍側と粘り強く交渉し、最終的に人質全員解放に導いた。
北朝鮮問題では日朝議連を取りまとめ、訪朝団を結成し、国交正常化にも奔走した。金正日総書記と築いたパイプがあるとして、その発言を巡っては政府や拉致被害者らとの間にさまざまなあつれきを生んだが、ライフワークとしていた。
一言居士で、国会では公明党と創価学会の関係を痛烈に批判し、池田大作名誉会長の国会招致を求めた時もあった。
小沢氏と行動をともにし、自民党から新進党、民主党と渡り歩いた。民主党政権時には、“格闘王”前田日明氏の参院選擁立がもめた際、選対委員長だった石井氏が「下っ端にだまされたヤツが悪いんだ」との趣旨の発言で前田氏が激高し、バトルが勃発。「謝罪しない」と突っぱねた石井氏に対し、最後は前田氏が「バカなジジイのところではやるつもりはない」と愛想を尽かしたほどだ。
実際、石井氏といえば舌禍を思い出す人も多いだろう。2010年の長崎県知事選では民主党が推薦した候補が落選すると、「民主党政権は長崎に対してそれなりの姿勢を示すだろう」と“どう喝”。国会でも取り上げられるなど問題化した。また、同年の政治資金パーティーでは鳥取県と島根県について「日本のチベットみたいなものだ」と表現して、これまた問題となった。
高身長でプレーボーイでも知られた石井氏は、女性関係や芸能界とのつながりで、さまざまなウワサが絶えなかった。晩年には、厚労省の村木厚子さん冤罪事件にも巻き込まれたが、ゴルフ好きで国会に行かずにラウンドしていたのがアリバイとなったことを自慢げに語っていたものだった。
一方で、謙虚な姿勢も持っていたという。
永田町関係者は「民主党政権時代ですが、石井氏が若者を集めて食事をするというのでご一緒しました。一人ひとりに『民主党政権のことどう思う?』と聞いて、前向きな評価を伝えると『気を使わなくていい。正直に言ってくれ』と。むしろ悪いところを指摘されたがっていました」と明かした。
目にかけた若手への面倒見はよく、昨年の衆院選では、れいわ新選組の山本太郎代表や立憲民主党の候補者の応援に党派を超えて駆け付けた。
バッジを外しても常に政治の最前線に立ち続けた熱血派だった。












