【赤坂英一 赤ペン!!】また一人、巨人を陰で支えた重要人物が鬼籍に入った。2日に86歳で心不全のために死去した元読売新聞グループ本社社長・内山斉さんである。

 内山さんは長く地方部で記者生活を送り、1998年に東京本社副社長に就任。渡辺恒雄オーナーの後継者と目されていた。

 その年の夏、長嶋監督の後任として森・元西武監督が浮上する監督交代騒動が勃発。このとき、読売本社で森氏をバックアップしていたのが内山さんだった。両者をよく知る読売関係者が言う。

「森さんはもともと巨人にテスト入団して正捕手に上り詰めた。内山さんも地方部回りの傍流から本流に入って出世したでしょう。いわば似たような境遇にあったことが、森さんを後押しした理由でもあったようです」

 しかし、そういう内山さんの思い入れが“勇み足発言”につながった。第1次政権時代の80年、長嶋監督解任時には読売の部数が大幅に減ったといわれる。98年の騒動のさなか、今回も二の舞いとならないかと記者に質問された内山さんは、キッパリとこう答えたのだ。

「読売の部数激減なんかあり得ないよ。(80年)当時のデータを調べたら(系列局日本テレビの)視聴率にも影響はない。勝つことが一番なんだ」

 この発言は朝刊各紙に大きく報じられた。が、長嶋続投を求めるファンの声が高まっていることをおもんぱかってか、内山さんの名前は伏せられている。そうした中、当時何かと粋がっていた私だけが、夕刊紙に実名を載せた。

 すると、巨人や読売に内山さんへの抗議や脅迫の電話、手紙が殺到。身の危険を感じた内山さんは、しばらく通勤と帰宅の際に警備員をつけざるを得なくなった。これには責任を感じている。

 結局、この騒動は長嶋続投で落着。読売は10万部の号外を刷って配布した。いま振り返ると、内山さんの発言が、逆に長嶋人気の根強さを証明したような気もする。

 内山さんはその後、2004年の球界再編騒動や05年の星野監督招聘問題などにも関与。取材にも常に真摯に対応していたことは、当時東スポ巨人担当記者だった溝口デスクによる追悼記事(10日付東スポWeb)に明らかな通りである。

 ところが、内山さんは11年、突如読売グループ本社社長を退任し、顧問に棚上げ。なぜ渡辺オーナーの後継候補から外されたのかと、様々な臆測を呼び、週刊誌の記事にもなった。それだけ存在感のある人物だったとも言えるだろう。謹んでご冥福をお祈りします。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。