【山本美憂もう一息!(15)】1999年9月、最愛の母(憲子さん)の死を、私たち3きょうだいはそれぞれ違う形で受け止めました。弟のノリ(徳郁さん)は約1週間後の大会に出場し優勝。私も3か月後に迫る全日本選手権に向け始動しました。一方で妹の聖子は「レスリングを辞める」と言い出し、日大の寮から実家に戻ってきてしまいました。理解できなかった私は「弱くなったらママが悲しむよ!」と2人で大ゲンカ。互いに一切口もきかない冷戦状態が2か月ほど続きました。
後にも先にも、これほどのケンカはありませんでした。時間がたつにつれ、仲直りしたい気持ちがあっても、お互い意地の張り合いになっていました。そんな中で迎えたある日、私が実家に帰った際、近所のスーパーで聖子とばったり会いました。会った瞬間、2人とも涙があふれ出て、何も言わず抱き合いました。
会話を交わすようになり、聖子はいつしかもっとレスリングを頑張ろうという気持ちになってくれ、日大の寮に戻りました。それでも長期間全く練習していなかった影響は大きく、階級を1つ上げ56キロ級で臨んだ全日本選手権は決勝で敗れ2位でした。負けて戻ってきたところを父(郁榮氏)にこっぴどく怒られていたことを覚えています。私は46キロ級に出場し、4年ぶりの優勝を果たすことができました。
今でもこの時の聖子の気持ちを思うと胸が苦しくなります。末っ子で甘えん坊。母がいなくなったショックが大きすぎて、どうしていいか分からなくなっていたのです。しかも「行ってきまーす」と旅立ち、帰ってきたら二度と会えなくなっていた。もっと伝えたい言葉、やってあげたいことがあったはずです。私は聖子の気持ちを理解しようとすることなく怒ってしまい、本当にかわいそうなことをしました。
私も母にもっと感謝の気持ちを伝えたかったし、大人になった今、一緒に旅行したら楽しかっただろうなと思うなど、果たせなかったことを考えたらキリがありません。私にとって母はお手本。いつも「人を許すこと。ポジティブでいること。相手の良くないところばかりを見つけず、自分の悪い点も見て、相手を理解すること」と教えてくれました。今、ついネガティブな言葉を言ってしまうと「ああ、またママに近づけなかった」と反省します。何回もテストで不合格になっている感じですよね。少しでも母のようになれるよう、怒っていても、ふと冷静になって「自分はどうなのか」と考えるようにしています。夫(カイル・アグォン)や家族を相手に、毎日が修行の日々です。
2001年、レスリングの女子選手、関係者にとって、ビッグニュースが舞い込んできました。
☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。












