小川直也 VS 古賀稔彦 30年の刻を越え両雄が振り返る“死闘と絆”

2020年05月05日 16時30分

小川は豪快に古賀(下)から一本勝ち

【東スポ60周年記念企画・フラッシュバック特別編】「柔よく剛を制す」――。過去に幾多の名勝負を生んできた日本柔道だが、階級制が整備された中でこの格言の実現に動いた伝説の試合がある。創刊60周年を迎えた本紙が印象的な試合、出来事を振り返る新企画「フラッシュバック」、今回はGW号特別編として、1990年4月29日の全日本柔道選手権決勝をクローズアップ。軽量級と重量級の世界王者同士の激突として大きな注目を浴びた古賀稔彦と、重量級のエース・小川直也による死闘の裏にあった両者の思いに迫った。

 無差別級で争われる全日本選手権は、基本的に100キロ超、100キロ級の重量級選手で争われる。当時の優勝候補の筆頭は、前年の世界選手権95キロ超級&無差別級の2冠を達成し、全日本2連覇を狙う130キロの小川。その中で、世界王者とはいえ71キロ級という軽量級の古賀が果敢に参戦したのは大きな波紋を広げた。体重差は約60キロ。乗りに乗る小川との戦いはもとより、全日本出場自体が大きな挑戦だった。

 古賀:もともと自分よりも大きな選手とやることが楽しみの一つだった。自分の階級で一度世界を取れたというのは、一つの区切り。今度は無差別でやってみようと思った。

 ただ、自身の気合とは裏腹に、体調を崩してしまう。前日の夜中に高熱を出し、当日もウオーミングアップすらできない最悪のコンディション。そんな中、試合後に控室で寝て頭を氷で冷やす、ということを繰り返しながらも見事決勝に進出した。危なげなく勝ち上がり、畳で待ち構える小川は、古賀の決勝進出に驚きを隠せなかったという。

 小川:正直、上がってくるとは思わなかった。古賀はすごいと思ったけど、逆に重量級のふがいなさにちょっといら立ちを覚えたよ。

 重量級のエースとして火が付いたが、さらに会場の日本武道館の雰囲気が“敵”として襲い掛かった。当時の試合時間は6分間(決勝は10分)。決着がつかなければ旗判定で勝敗が決まる。2回戦から登場した古賀は、準決勝までの4試合を全て旗判定で制していた。階級のハンディをものともせず、巨漢に立ち向かう“平成の三四郎”を、場内全体が後押しする状態になっていた。

 小川:旗判定になったら、周りの雰囲気に持っていかれるなって。オレは完全に悪役で、(声援が)1対9ぐらいだったから。軽量級の王者が重量級に挑むってなったら、一番盛り上がる図式だからね。

 重量級の「絶対王者」を古賀が倒すシーンが見たい――。小川はそんな観客の期待をビシビシと感じ取っていたという。

 とはいえ古賀はギリギリだった。最悪のコンディションに加え、重量級の猛者相手に4試合、しかもフルタイムを戦い抜き、体力を使い果たしていた。それでも意地と気力で、6分が過ぎる“延長”状態まで小川の猛攻を耐える。

 だが7分過ぎ、小川に奥襟と左袖をつかまれた。次の瞬間、古賀の目に入ったのは、武道館の天井。7分42秒、小川の足車で敗れた“平成の三四郎”は畳の上で大の字になり涙した。

 古賀:普通であればその(奥襟と左袖をつかまれる)状況を嫌うなりするのに、大丈夫かなと思った。心身ともに疲れている状況の中でつい、自分の中にある甘さ、弱さというものが出てしまった。負けた悔しさというよりも、自分自身に対する悔しさというか、心の部分での未熟さを感じさせられた。

 この敗戦から古賀は学んだことがあった。勝負において大事なのは、体重差や体調以上に、試合に臨む上で目標が明確になっているかということだ。

 古賀:小川は絶対に優勝するっていうことをゴールに出場していた。私は「さあ、どこまでやれるかな」という挑戦者の気持ちで、ゴールが決まってないと。やっぱりその違いは大きい。

 大一番で実感した小川との根本的な差。これを肝に銘じ、2年後のバルセロナ五輪での金メダル獲得につなげた。一方、絶対王者としての役割を全うした小川は古賀に最大級の賛辞を贈り、その後は大観衆を前にしても緊張しなくなったと漏らした。

 小川:武道館があれ以上いっぱいになったのを見たことない。あれだけ強い軽量級は、もう出てこないのかなって感じ。そういう点で天才といわれたところなんだろうね。

 まさに「柔よく剛を制す」を身をもって体現し、ニッポン柔道に夢と希望を与えた古賀。これに対し、絶対に負けられないプレッシャーの中で「ふがいない」重量級を横目にきっちりと結果を出した小川。両者ともに忘れられないという一戦は、今も色あせることなく、格闘技ファンの間で語り継がれている。


【古賀が明かす減量決行中の同部屋エピソード】

 同い年で世界王者同士だった2人はお互いをどう思っていたのか。

 関係の始まりは高校時代にさかのぼる。小川が八王子高、古賀が世田谷学園高だったため、国体で同じ東京代表に選出され、東京都の優勝に貢献するなど、励まし合ってきた。

 すでに名が売れていた古賀と違い、高校から柔道を始めた小川は「同級生に古賀みたいなやつがいたから、オレは頑張れた」と強調する。「ちっちゃいのに、なんでこんな強いんだって。オレ、体デカいのに負けられねーじゃねーか、っていう中でやってきたから、ある意味、彼が目標だった」と古賀の存在の大きさを語った。

 一方の古賀が明かしたのは、1987年の世界選手権で同部屋になった際のエピソードだ。「自分が減量で何も食わずに部屋で寝てると、夜中におなかいっぱい食べたはずの小川が戻ってきて、アルミホイルで包んだおにぎりをバリバリって開けて、私の目の前で食べる。そういうことができるタイプだった」。その時は無視を決め込んだというが、自由奔放に振る舞う小川のおかげで楽しくやれていたという。

 くだんの「おにぎり事件」について小川は「そんなことあったっけな」とトボけ「やった人間とやられた人間で、覚えているかどうかは微妙なところ。まあ、でも楽しかったね」と強引に話をまとめた。いずれにしても互いに認め合い、切磋琢磨するという良好な関係だったようだ。


☆こが・としひこ=1967年11月21日、佐賀・みやき町出身。数々の五輪メダリストを輩出した東京・世田谷の柔道私塾「講道学舎」に入門。日本体育大学進学後に“平成の三四郎”の異名をとり人気が爆発。世界選手権2階級制覇をはじめ、バルセロナ五輪で金メダル、アトランタ五輪では銀メダルを獲得した。2000年に引退し、03年には町道場「古賀塾」を開塾。07年からは環太平洋大で女子柔道部総監督を務めている。

☆おがわ・なおや:1968年3月31日、東京・杉並区出身。高校時代から柔道を始め、明大に進学すると86年全日本学生柔道選手権で史上2人目の1年生王者になる。世界選手権で95キロ超級&無差別級の2冠、バルセロナ五輪銀メダル、全日本選手権は計7度優勝するなど、重量級で無類の存在感を示した。97年にプロレスラーに転向。新日本プロレスやPRIDEのリングで大暴れし“暴走王”の異名を取った。2006年、神奈川・茅ヶ崎市に柔道場「小川道場」を開設。