またひとつ消えた日本の原風景…石炭輸送列車138年の歴史に幕

2020年05月04日 10時00分

石炭輸送列車はもう見られない

 石炭を列車で運ぶ「石炭輸送列車」が今年、終焉(えん)を迎えた。実に138年の歴史に幕が下ろされた。

 3月のダイヤ改正で石炭輸送列車は廃止となった。“最終列車”は2月25日だった。神奈川・川崎市川崎区にあるJR扇町駅から鶴見線や武蔵野線、秩父鉄道などを経由して熊谷市にある貨物駅・三ケ尻(みかじり)駅に向かったものだ。川崎の埠頭に陸揚げされた輸入炭を35トン積みの専用貨車20両に積載して、三ケ尻駅に隣接する「太平洋セメントの工場」に運んだ。

 石炭輸送列車の歴史は古い。1882年に北海道内陸部の炭鉱と小樽港を結んだ官営幌内鉄道に始まる。国内の炭鉱が開発されると、北海道や九州を中心として昼夜を問わず石炭列車が走っていた。“ヤマ”と呼ばれる炭鉱には労働者が集まり、大きな“街”が形成された。

 しかし、日本のエネルギー政策の転換によって、石炭産業が衰退に向かうと、石炭列車は減少。昨年は、釧路市の炭鉱の石炭を運んでいた「太平洋石炭販売輸送臨港線(釧路本社)」が廃止され、国内炭を運ぶ列車も消えていた。

 ベテラン鉄道マニアは「石炭輸送列車が消えてしまったのは、とても残念です。その昔は北海道や九州でもよく走っていたので撮りに行きました。当時は、D51や9600という機関車がけん引していましたね。炭鉱で採れた石炭を運び出すために使われていたんです。鉄道と石炭の関係もついに終わったんですね」と語る。

 またひとつ日本の“原風景”が消えた。