【前田日明(14)】ユニバーサル(レスリング連盟=UWF)から業務提携という形で新日本プロレスに戻ることになった俺と藤原(喜明)さん、木戸(修)さん、高田(延彦)、山崎(一夫※1)の5人は1985年12月の両国国技館大会に登場した。

 事前の打ち合わせでは「UWF軍団として旗を振りながら入ってリング上で乱闘してくれ」と言われたんだけど、変なヒールの色を付けられても嫌だなって全部無視して「1年半、UWFとしてやってきたことが何であるかを確かめに来ました」って勝手にやったんだよ。リングサイドのみんなはポカンとしてたけどね。でもUWFにはフロントや新弟子たちもいたから。あいつらを食わせなきゃいけないんで「新日本に吸収されてたまるか」ってね。

 86年1月には(アントニオ)猪木さんへの挑戦権をかけた「UWF代表者決定リーグ戦」が始まった。俺は最後に藤原さんに負けて、やらせてもらえなかった。「なんだよ」とは思ったけど、そこで藤原さんをたきつけても仕方ないし、藤原さんの名前が上がるならいいんじゃないかとも思ったんだ。

 そして2月の両国大会で、藤原さんは猪木さんと戦って敗れた。その試合後、俺は「リングに上がって猪木さんを蹴ってくれ」って言われてたんだよ。でもどうせ蹴るんだったら、アゴを思いっきり蹴ってやろうと思ってさ。だから思いっきり左ハイを蹴った。そうしたら猪木さん、その瞬間にキックの軌道を察し、ジャンプして首で蹴りを受けたんだよ。あれはすごかったね…。

 猪木さんも、前田のことだからアゴを狙ってくると思ってたのかもしれない。あのハイキック1発で、猪木さんも俺とはやりづらくなったんじゃないかな。でもあれを受けた猪木さんがすごいよ。自分で見てもほれぼれとする、生涯ナンバーワンの左ハイキックですよ。あれを首で受けた猪木さんは天才としか言いようがない。

 結局、新日本に上がり続けても、最後まで猪木さんとのシングル戦は実現しなかった。当時はいつかやるんだろうなと思ってたんだけど、今思えばやらなくてよかったよね。本気でやっつけようと思ってたからね。

 俺は猪木さんに言われてUWFに行った。でも戻ってきたからには、新日本の中でUWFの連中を守って、食わせないといけない。そういう経緯で敵対関係になってしまったのは皮肉な運命だけど、プロレスをやったら誰も猪木さんにかなわないとは思ってる。本当のプロレスの天才は猪木さん、藤波(辰爾)さんで、それ以外はハッキリ言って二流ですよ。

※1「反骨の男」と呼ばれた元プロレスラー、現整体師でタレント

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。