80歳で潔く歌手引退――。かつて西郷輝彦、舟木一夫とともに“御三家”の一角として昭和歌謡を席巻した歌手の橋幸夫(78)が4日に都内で会見を行い、2023年5月3日に迎える80歳の誕生日をもって歌手を「引退」することを発表した。橋といえば1963年にステージ上で暴漢に襲われるなど、昭和芸能史を語るうえで欠かせない大スター。ヤンチャだったイケメン青年時代には、時が時なら“文春砲”の餌食(えじき)になりかねない秘密を抱えていた!?

 紺色のスーツを身にまとい、会見場に現れた橋は、「17歳でデビューして昨年60周年。私も今年で78歳になった。70歳を超えたあたりから『このまま歌手を続けられるか?』と考えるようになり、80歳での歌手引退を決断した」と表明。

 昨年来のコロナ禍も影響したようで、「歌う機会が減ったことでノドに変調をきたし、声が割れるようになってしまった。これまで、ごまかしごまかし歌っていた部分もあったけど、自分の性格的にこれ以上、そんなことはできない。そういう姿をお客さんに見せたくないと思った」。歌手として納得のいくパフォーマンスができなくなった自分へのケジメとして、歌手引退を決断したことを明かした。

 歌手引退後については「趣味程度でやってた書を掘り下げてみたり、興味のあるスプレーアートをやってみたい」と語ったが、関係者によれば「橋自身、認知症を患った母を介護した経験を持ち、もともとそっちの世界に興味を持っている。歌手引退後は、本格的に介護に携わる可能性もある」という。そんな橋は豪快すぎるほど豪快だった昭和芸能界のど真ん中を生きてきただけに、逸話を挙げたら枚挙にいとまがない。会見後、橋を直撃すると、次々に武勇伝や舞台裏の真相が飛び出した。

 1963年の石川公演で軍刀を持った男に襲われた事件について聞くと、「僕の命が今もあるのは、小さいころからボクシングをやってたから。暴漢に軍刀で切りつけられたとき、ひと振り目でとっさにバックステップできて、刃先を数センチ避けられた。あれがなかったら僕はとっくに死んでたよ」。

 その後、橋はふた振り目を素手でつかみ、両手から血を滴らせながら暴漢を取り押さえている。当時はファンがステージに近寄り、カラーテープを投げ入れていた“おおらかな時代”だったとはいえ、令和の芸能界ではありえない九死に一生体験だった。

 西郷輝彦、舟木一夫との“御三家”時代は、2人との不仲説をささやかれた時期もあった。その真相はというと、「僕ら3人は別に不仲だったわけじゃない。ただ、レコード会社がバラバラで、それぞれのマネジャー同士がバチバチだった。いわばレコード会社の競争のなかに僕ら3人も巻き込まれて、不仲説が生まれた感じ」と明かした。

 どちらも、まさにThe・昭和芸能というべき話だが、逆に令和の今だったら命取りになっていたかもしれない秘密の暴露も…。

「もうこの年になったから言うけど、まだ独身だったころ、兄貴と超高級マンションを持ってたの。毎日、どっちがその部屋を使うかスケジューリングしてね。よく“喫茶店”代わりにして、女性を招いてました」

 ちなみに、この部屋に橋が「御嬢」と呼んで慕った“昭和の歌姫”美空ひばりさんも訪れたことがあるというが、時代が時代だったら“文春砲”に頭を悩ますことになっていたかもしれない。

 橋に歌手として残された時間はあと1年半ほど。12月にはラストシングル(タイトル未定)をリリースする。この日の会見で何度も「感謝」の言葉を口にした橋は、60年以上も支えてくれたファンへの恩返しの気持ちを強くしており、12月8日の福生市から感謝の気持ちを込めたラストツアーをスタート。

 これまで行けなかった場所を中心に全国160か所ほどを回って、歌手・橋幸夫の“お別れ”をする予定だ。