猛ダイブで胸を強打 まさかこれが…赤星最後のタテジマ

2020年06月14日 11時00分

背負われてグラウンドを去った赤星

【球界平成裏面史(49)】これが猛虎最高のリードオフマンの最後のプレーになってしまうとは、夢にも思っていなかった。病院で受けた診断は中心性脊髄損傷。一般人の日常生活には支障はないが、アスリートとして激しいプレーを再度試みれば、生命にかかわる危険性もあるということだった。

 であれば、慎重なプレーを心掛ければ復帰は可能ということなのか。いや、そうではない。常々「僕は体が小さいから、常時120%で向かっていかなきゃ大きい選手には勝てない」と話していた赤星に、その選択肢はなかった。かくして同年12月9日、突然の引退会見を開く形となった。

 葛藤はあった。本格的に引退を考えたのは会見直前の11月下旬から12月初旬。それまで全国各地の病院を訪ね、最良の治療法を模索し続けた。復帰への強い意志を持ってはいたが、医師からことごとく「今のまま現役を続けることは危険」と診断された。アメフトの本場で頸椎や脊椎の症例が多い米国での治療も画策したが、断念した。

 赤星としては時間をかけてしっかり治療して、甲子園の中堅に戻ってきたい思いがあった。ただ、球団としては完全治癒への不確定要素、高額年俸の赤星の長期離脱というリスクを考慮する必要もあった。時間が欲しい、せめて1年待ってほしいという希望が球団に認められることはなく、赤星は引退を決断した。

 それではなぜ、あれだけの名選手の引退セレモニーも行われなかったのか。「赤星さんが正式に引退を申し入れる前に次年度のオープン戦で、引退試合の日程を決められていて…」などと話した関係者もいたが、要は100%納得の引退劇ではなかったということなのだろう。

 持病の頸椎ヘルニアの状態が思わしくない日など「今日は雨だね。僕のクビダス(気象レーダーのアメダスに掛けて)が言ってるよ」と、見事に雨予報を的中させた。体が万全ではなく、ロッカールームから腰を曲げたまま顔面蒼白でベンチ入りした日も、気丈に取材対応してくれた。

 ファンのヤジに激しいけんまくでやり返す姿も印象的だった。人間らしく熱い男だった。平成のプロ野球の歴史で太く短く強い光を放ったレッドスター。指導者として、再びタテジマに袖を通す日が来ることが待ち遠しい。

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