平成8年ミスター流配慮 清原入団と落合退団は同じ会見場、背広、ネクタイだった

2020年04月23日 11時00分

96年11月24日、会見でがっちり握手する長嶋監督(左)と清原(写真上)。96年11月28日、長嶋監督は4日前と同じスーツで落合(右)の退団会見に臨んだ(写真下)

【球界平成裏面史(11)、落合・清原移籍騒動の巻(3)】平成8年(1996年)11月27日、東京都内のホテルで巨人・長嶋監督と落合の“決別会談”が行われた。対話は、すしをつまみながら、延々約4時間に及んだという。

 清原のFA移籍が決まり、長嶋監督が「ウチに残るなら来季は代打やベンチが多くなる。1つのポジションを2人でとはいかないから」と説明。意地を張ってきた落合もついに退団を決意した。

 翌28日、落合は渡辺・読売新聞社社長に対して一連の球団批判を謝罪。長嶋監督とともに会見に臨み、「私と清原くんの問題で監督が悩んでいる顔はもう見たくない」と語って涙をにじませた。

 落合は東芝時代、後楽園球場へ長嶋の引退試合を見に行ったほど熱烈な長嶋ファンだったのだ。ちなみに、落合退団、清原入団の会見場は同じホテルニューオータニの「鶴の間」だった。会見前の渡辺社長からの花束贈呈も、長嶋監督が着ていた背広とネクタイまで同じ。清原と差をつけないよう、巨人が細心の配慮をしたのか。

 この会見の1時間前の午後7時、ヤクルト・野村監督が早くも落合獲得をぶち上げていた。明治記念館での納会であいさつに立ち、「落合くんをぜひ取ってくださいと(桑原)オーナーにお願いしました」と宣言。さらに日本ハム・上田監督も「勝つために必要な選手」と獲得に名乗りを上げる。翌29日には上田監督が落合家の留守電にメッセージを吹き込み、野村監督も直筆のファクスを送信。名将同士のシ烈な落合争奪戦がスタートした。

 野村監督は12月3日、落合と交渉を行った。背番号6を確約し、条件は1年契約・年俸2億5000万円プラス出来高払い5000万円(金額は推定、以下同)。が、落合は出来高払いに難色を示して返事を保留している。

 それならばと翌4日、上田監督の方は落合に2年契約・年俸3億円を提示した。これで落合が長考に入ると、野村監督が激怒。田園調布の自宅前に真っ赤なガウン姿で現れるや、「オレは男気をもって声をかけたんだぞ」と声を荒らげた。

「落合が日ハムに行けばおカネで動いたと周囲は思う。ヤクルトに入れば一般中高年のファンも、さすが落合、男の意地を見せたとなる。落合は中高年のヒーローだ。リストラが社会現象にもなってる中で、落合の選択を世間も注目している。中高年の留飲が下がるような決断をしてほしい」

 しかし、落合は結局、日本ハムを選んだ。清原がFA宣言をした直後、落合は「オレには3球団から連絡が来てるんだ」と話していた。そのころから移籍を視野に入れていたのかもしれない。

 落合がヤクルトに入れば、当時の巨人戦はもっと熱く盛り上がっていただろう。あのころは乱闘が頻発していたほどの遺恨のカードだったから。

(赤坂英一)

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