1日のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第42回、秀吉(池松壮亮)を両面から支える主人公の弟・秀長(仲野太賀)と茶道の巨匠千利休(吉岡秀隆)に今後の不穏を匂わせる不気味な場面があった。

 九州を平定した天正15(1587)年、北野大茶湯を催して栄華を極めた秀吉。黄金の茶室に客が列をなし、ご満悦だったが、利休の茶室はそれを上回る大繁盛だと聞くや「もっと客を呼び集めよ!」と負けん気をあらわにした。

 千客万来の忙しさに根を上げた利休は途中休憩に抜け出し、「10日も続けたら体、もちまへんで」と秀長にボヤく。秀長が「全くじゃ」と返したことで、実は2人とも茶会に乗り気でなかったことを知る。史実では、秀長が九州の大名大友宗麟に対し「内々の儀は宗易(利休)に、公儀の事は宰相(秀長)存候」と伝えたといい、2人は権力者を文武両面から支えたブレーンと評される。

 そんな場面で、2人の顔には縦の線が走っていた。利休には数本がくっきり映るカットがあり、秀長にもうっすらと線が浮かんだ。すだれをはさんで北野天満宮での大茶会を望みながらの会話。外からの陽光を受け、すだれの影が縦線となって顔に映し出されたとみられる。影が刻まれた秀長と利休の〝死相〟が浮かび上がったかのようなシーンとなった。

 天下一統へ近づく秀吉の権勢を誇る茶会は、やがて暗転。命を狙う賊が侵入、さらには九州・肥後の領主に抜てきした佐々成政(白洲迅)が国衆の反乱に対処できず、助けを求めてきたとの一報が。茶会どころではなくなった。

 この反乱は「肥後国衆一揆」と呼ばれ、成政が秀吉の命に背いて検地を強引に行ったことが火ダネとなった。鎮圧には多大な兵力を擁し、秀吉は成政を切腹とする。天正16年のことだった。2年後の小田原征伐により天下一統が成る一方、暗い影も忍び寄る。

 秀長の病は天正15年当時から記録に書き記されていたといい、小田原征伐には参加できず、天正19年の年明けに病没する。それを機に利休の立場は一変し、間もなくして何事かで秀吉の逆鱗に触れ、切腹に追い込まれた。

 この第42回では、これまでに断片的だった秀長とおいの秀次(山田涼介)の〝確執〟が鮮明さを帯びた。何かと考え方の違いが出ていた2人。母とも(宮澤エマ)が放った「小一郎(秀長)のことが嫌いなの?」という直球質問に秀次は「向こうが私をお嫌いなのです」と本心を明かす。

 秀吉の養子となり関白を継いだ秀次も、秀吉妻の茶々が文禄2(1593)年に秀頼を生むと人生が暗転。同4年に切腹死を遂げている。

 利休や秀次の死は秀長没後なので、ドラマに出てくるかは不明。とはいえ、成政切腹は嵐のような粛清の始まりを告げる形となった。