1日に亡くなった作家で政治家の石原慎太郎さん(享年89)には4人の息子がいた。自由放任主義だったという慎太郎さんだが、世間一般の親同様に“親バカ”だった。
長男の伸晃氏(64)は自民党の元幹事長で、派閥の領袖まで上り詰めた。首相になれなかった慎太郎さんは、伸晃氏にその夢を託した時もあった。都知事時代の2012年、幹事長だった伸晃氏が総裁選に出馬すると後方支援に当たった。
当時、尖閣諸島を巡って中国と対立が深まる中、慎太郎さんは尖閣の購入を表明し、大騒ぎとなった。結局、政府が国有化したが、総裁選のさなかに伸晃氏は「尖閣に中国は攻めてこない。誰も住んでいないから」と能天気な発言をかましたのだ。これに慎太郎さんが雷を落とすかと思いきや擁護し、保守かいわいから「タカ派の石原氏も子供の前ではハトになるのか」とあきれられた。
次男でタレントの良純(60)は慶応大在学中に映画関係者にスカウトされる形で役者となり、裕次郎さんが社長を務めていた石原プロの門を叩いた。その後、活動の幅を広げるために石原プロを退社した際も、慎太郎さんは陰ながらに支援し、俳優・タレントとして成功に至った。
衆院議員で三男の宏高氏(57)は慎太郎さんが最も世話をしたともいえる。「石原氏は宏高氏をかわいがっていて、選挙でも熱心に応援に入っていた。政治家として買っていたのも伸晃氏より宏高氏の方だった」(自民党関係者)
選挙に弱い宏高氏を慎太郎さんは何かと気にかけ、維新が台頭した際には宏高氏の選挙区には候補者を擁立しないように苦心したことも。その後も「自民党で勝てないなら石原新党から」と丸抱えプランが出るほどの熱の入れようだった。
3人の兄とは全く異なる道を進んだのは四男の延啓氏(55)だ。慶応大卒業後、画家・美術活動に入り、石原4兄弟でも謎の存在とされた。東京都の事業に関与していたことが判明し、“縁故採用”と批判されたこともあった。
慎太郎さんは、芸術家となった延啓氏の才能にほれ込みながらも成功するか、気をもんでいた。
「宏高氏以上に延啓氏を溺愛していたそうです。最期をみとったのが延啓氏だったことで、慎太郎さんも救われたのでは」(永田町関係者)
慎太郎さんが亡くなった当日、4兄弟は自宅前で報道陣の取材に応じた。いずれも父親から愛情を一身に受けてきただけに感謝の言葉は尽きなかった。












