プロ野球選手か、お笑い芸人か――。幼い頃から二つの夢を追い続けてきたのが、吉本興業のお笑いコンビ「むなかったん」のあらた(本名・村山新汰=30)だ。15年間の野球経験を生かし、現在はソフトバンク戦のラジオ中継でゲスト解説を務めるなど活動の幅を広げている。厳格な父親の下で育ち、芸人への転身には家族の反対もあった。それでも自分の道を貫き、今では反対していた家族も活動を応援している。

インタビューに答えるあらた
インタビューに答えるあらた

「野球は全てを奪うもの」。小学2年で野球を始める前、あらたは社会人野球経験のある父親から覚悟を問われた。時間もお金も、人間関係も犠牲になる。それでも頼み込み、認められた。待っていたのは厳しい練習。キャッチボールでは胸元に10球連続で投げるまで終わらない。ホークスの城島健司に憧れ、プロ野球選手を夢見た。

 だが、少年時代からもう一つの夢があった。お笑い芸人だ。とんねるずやネプューンに夢中になり、父親に隠れてお笑い番組を見た。「この時間、素振りできただろう」と怒られたこともある。それでも「どっちもデカい夢でしたね」。高校3年の文化祭では仲間とトリオを組み、初めて漫才を披露。先生や同級生が手をたたいて笑う姿に喜びを感じた。

 同年の「ハイスクールマンザイ2013」では九州・沖縄代表として全国大会に進出。満員のなんばグランド花月で笑いを取った。「こんな気持ちいいことあるんだ」。野球でも福岡教育大3年時に福岡六大学野球リーグのベストナインに選ばれ、4年時には主将を務めた。15年間、白球を追い続けた末、選んだのはお笑いの道。大学卒業後、吉本興業の養成所NSC福岡に入り、トリオで首席卒業した。コロナ禍で1人が脱退したが、小学校時代からの幼なじみ、ナオキ(31)とコンビを続けた。性格は正反対でも「僕が言いたいことを一番分かるのは彼」と信頼は厚い。

 芸人への転身に父親と祖父は猛反対。父親は教師になって野球を教えてほしかった。養成所に通った約1年間は口も利いてくれなかった。一方、母親は「絶対なりなさい」と後押し。首席卒業を報告すると、父親から「おめでとう」のひと言が返ってきた。ただ、その後も結果を求められた。そんな父親も今では出演番組をチェックし、母親と酒を飲みながら楽しんでいるという。

 最近、祖父からも「ごめんな」と謝られた。「俺、泣きましたね」。祖母も涙を流した。かつては正月の集まりにも顔を出せなかったが、今では祖父からLINEが届く。芸人になって一番良かったことを尋ねると、答えは「家族」。反対していた家族が、今では自分の活動を喜んでくれることだ。

 プロ野球選手の夢はかなわなかったが、野球との縁は切れなかった。2022年の開幕戦からホークスの全試合を追い、その数は約750試合。毎週月曜日にポッドキャストで振り返り、RKBラジオの中継ではゲスト解説も務める。ただ、元プロ選手ではないため、詳しい技術を語る資格はないと考えた。そこで、技術論より目立たないプレーに注目する道を選んだ。リーグ3連覇の強さは「隙のなさ」と分析。併殺を防ぐ全力疾走や次の塁を狙う走塁を評価する。「見て分からない野球の魅力を伝えるということがたまらなくうれしい」。かつて追いかけた夢が、今の仕事につながっている。

ソフトバンク・川瀬晃(右)とむなかったん・あらた(提供写真)
ソフトバンク・川瀬晃(右)とむなかったん・あらた(提供写真)

 24年12月、博多華丸の提案でコンビ名を「とらんじっと」から「むなかったん」に変更。12月19日には、よしもと福岡大和証券劇場で「むなかったん単独ライブ~CREATE~」を開催する。故郷の福岡を拠点に全国を目指す。「全国民に知ってもらえてる芸人になりたい」。1人の仕事もコンビのためだ。「1人で行くってことは、コンビで行ってるっていうこと」。野球とお笑い。少年時代から追い続けた二つの夢が、今のあらたを支えている。