マイクで熱を届ける男――。九州朝日放送(KBC)の沖繁義アナウンサー(51)は、ソフトバンク戦やアビスパ福岡戦の実況、HKT48関連番組など幅広い分野で活躍する福岡を代表する“声の伝え手”だ。広島で育った野球少年は、なぜ“伝える人”の道を選んだのか。実況への情熱、アビスパ愛、そして教育論まで、その素顔に迫った。
沖アナは田園風景が広がる広島市北部の白木町で育った。小学校から高校まで野球漬けの日々を送り、将来はプロ野球選手になることを夢見ていた。熱烈なカープファンでもあり、好きな選手は高橋慶彦だった。しかし、転機となったのは広島県立向原高2年の春。前年夏にベスト16入りした母校へテレビ取材が訪れ、アナウンサーやカメラマン、ディレクターが一体となって番組を作る姿に引かれた。「こういう仕事がしたい」。その思いがアナウンサーへの第一歩となった。
もっとも、夢への道のりは決して平たんではなかった。高校2年時の全国模試では偏差値40前後。それでも東京六大学進学を目標に掲げ、野球部の練習後は早寝し、毎朝4時に起きて勉強を続けた。現役では不合格だったが、1浪を経て立教大へ進学。「あの頃は勉強しかしていなかったですね」と笑う。放送研究会に所属し、アナウンサーへの道を歩み始めた。
1998年に中国放送(RCC)へ入社。当初は情報バラエティー番組を担当し、「ラジON・ファンキーモンキーオッキー」などで人気を集めた。だが、入社間もない頃には忘れられない失敗も経験している。
朝7時のニュース番組を担当していたが、本番15分前に目を覚ました。髪はボサボサ、靴も履かずにバイクで局へ向かい、本番と同時に何とかフレームイン。しかし慌てて座ったキャスター付きのイスが動き、そのまま画面の外へ。「フレームインからのフレームアウト、そして再びフレームインでした」と苦笑する。今でも局内で語り継がれる伝説の失敗談だ。
一方で、スポーツ中継への思いは消えなかった。2004年にKBCへ移籍し、念願だったスポーツ実況の世界へ飛び込んだ。「人生をかけてプレーする選手たちの思いを伝えられることが魅力」。特に印象に残っているのが17年のホークス優勝だった。前年の悔しさを乗り越え、歓喜に沸く選手たちの姿を目の前で見ながらマイクを握った。「100点を取ったと思ったら成長が止まる」。今もより面白い中継を追い求めている。
福岡でのもう一つの顔がアビスパ福岡である。「沖アビ義」の愛称で親しまれ、ラジオ番組「アビトーーク!」や初心者向け観戦ツアーを通じてクラブの魅力を発信してきた。「このクラブを応援したい」。05年のJ1昇格を取材した際に抱いた思いは今も変わらない。また、「HKT48 ラジオ聴かナイト!」も長年担当。あえて距離を近づけ過ぎず、「ファン目線を忘れないこと」を心がけているという。
歴史や古墳、城巡りが好きで、休日はゴルフも楽しむ。実況中に歴史や名字の由来の話題が飛び出すこともある。「楽しい中継にしたいだけ」と笑う。その一方で、家庭では3人の息子を育てる父親でもある。「やりたいことは全力で応援する」が教育方針で、水泳やピアノ、卓球など、子供たちが興味を持ったことにはできる限り挑戦させてきた。幼い頃から読み聞かせも続けており、長男は小学校低学年の頃から文庫本を読みふけっていたという。
「伝えることは人生そのもの」。沖アナはそう言い切る。ただ近年は、伝える技術と同じくらい「聞く力」の重要性を感じているという。自分が話すだけではなく、相手から自然に言葉を引き出すこと。その積み重ねが本当に伝わる言葉を生む。人と人をつなぐ“声”への挑戦は、これからも続いていく。














