ジョン・レノン、エアロスミス、ジョン・レノン、チープ・トリックなど大物アーティストとの仕事で知られる伝説のプロデューサー、ジャック・ダグラス氏が11日に死去した。80歳だった。死因などは明らかにされていない。12日に彼の家族がフェイスブックに投稿した内容によると、ダグラス氏は「安らかに」亡くなったという。米誌ピープルが12日、報じた。
フェイスブックを通じ同氏の家族は「彼をフォローしている皆さんの多くがご存じのように、彼は素晴らしい音楽を生み出し、波乱万丈な人生を送りました。彼が皆さんの人生に大きな影響を与えたことは承知しています。ぜひコメント欄でそのことについてお聞かせください。彼がいなくなるのはさびしいです」と追悼の意を寄せている。
ダグラス氏はエアロスミスの数々のアルバム制作において重要な役割を果たし、1970年代には「トーイズ・イン・アティック」、「ロックス」ゲット・ユア・ウイングス」など大ヒットアルバムのエンジニアリングとプロデュースを手がけた。その多大な貢献により、彼はしばしばこの人気ロックバンドの「6人目のメンバー」と呼ばれた。
またジョン・レノンとヨーコ・オノとの友情と仕事上の関係でも知られていた。レノンが狂信的ファンに暗殺された1980年12月8日、レノンはダグラスと一緒にスタジオにいた。また、悲劇の直後、テレビのニュースで妻ヨーコの代弁者を務めたのもダグラス氏だった。
ビートルズの大ファンだったダグラス氏は、スタジオで働いていた時に初めてレノンと出会い、1965年に貨物船でこっそりリバプールに渡ったものの、地元ニュースで大きく取り上げられ、国外追放されたという話を披露してレノンを喜ばせた。
「ドアが開いてジョンが部屋に入ってきたので、私は思わずおもらししそうになりました。彼と会うとは思っていなかったからです。彼は座って、『ここで少し時間を過ごしても大丈夫かな? ちょっと静かな場所を探しているだけなんだ』と言いました」とダグラス氏は出会った当時を回想している。
その後、レノンはダグラス氏をパーティーに招待した。その後は周知の通り、2人は実りある仕事上の関係を築き、それは1980年にレノンが亡くなるまで続いた。
ダグラス氏はレノンの名盤「イマジン」のエンジニアを務め、彼の死の直前にリリースされた「ダブル・ファンタジー」では共同プロデューサーを務めた。レノンが亡くなった日、2人はレコード・プラントで、後にヨーコ・オノの81年のシングルとなる「ウォーキング・オン・シン・アイス」をレコーディングしている。












