日本ボクシング連盟前会長の山根明さんが1月31日午前3時50分ごろ、肺がんのため大阪市の病院で死去した。84歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻・知巳(ともみ)さん。会長として強権的な組織運営に反発の声も強かったが、選手を思う気持ちは人一倍強かった。その中の1人がロンドン五輪出場を目指してボクシングに打ち込んだ「南海キャンディーズ」の山崎静代だった。
2000年シドニー五輪で日本代表監督を務めた山根さんは、常務理事などを経て11年2月に日本ボクシング連盟会長に就任。国際大会への積極的な派遣などの強化策を打ち出し、12年ロンドン五輪では村田諒太の金メダルなど日本勢初の1大会複数メダルにつなげた。
しかし強権的な組織運営に反発も強かった。助成金不正流用や、かつて県連盟会長を務めた奈良県選手をひいきする、いわゆる〝奈良判定〟と呼ばれる審判不正など問題になった。過去の暴力団組長との関係告白もあり、18年8月に会長を辞任。19年2月に日本連盟から除名処分を受けた。
19年9月にはプロボクシングの新団体・WYBC(ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ)設立に参加した。
山根さんは19年3月に自叙伝「男 山根『無冠の帝王』半生記」(双葉社)を出版。その時のインタビューで、助成金不正流用については「当時から認めている」としたうえで「悪気はなく、頑張っている選手に助成金を渡したくて。助成金の分配がダメなことと知らなかったのは僕が悪いけど」。
一方で〝奈良判定〟については「問題になった試合がテレビで何回も流れたけど、3ラウンド目しか流さない。放送しないのは、1ラウンドと2ラウンドは奈良の選手が勝ってるからですよ!」と猛反論した。
山根さんは、とにかく〝選手のために〟という思いが強い人だった。1998年にタイで行われたアジア競技大会で監督を務めた際には、背後から銃で発砲されたことも。幸い当たらなかったが、「アマの試合でも、タイはギャンブルの対象だから観客も熱くなる。それでも私は選手を守らなきゃならないんです!」と熱く語った。
そんな山根さんを慕っていたのが、女子ボクシングで12年のロンドン五輪出場を目指した〝しずちゃん〟こと山崎静代だ。残念ながら夢は叶わなかったが、山根さんは徹底的にサポートした。
しずちゃんについて山根さんは「専属トレーナーだった梅津(正彦さん=2013年に死去)が『よろしくお願いします』と言ってきたんで、引き受けたんです。真面目な子で印象に残ってます。五輪は出られなかったけど、アマチュアボクシングの普及にはものすごく貢献してくれました」と語っていた。
しずちゃんが大阪に来た時には、2人で食事もした。「その後にカラオケ行って1~2時間歌ってね。それからしずちゃんの実家まで僕が運転して送りましたからね」
ただ山根さんが会長として猛バッシングを浴びていた時、しずちゃんは何もコメントしなかった。それでも山根さんは「あんな大騒ぎになったら、そりゃビビりますよ。しずちゃんが何も言えないのは分かっている」と理解を示した。関係者によると「何かあるたびにしずちゃんは山根さんに連絡していた」という。
コワモテの風貌とは裏腹に、ボクシングを心から愛した人だった――。












