【前田日明(13)】 ユニバーサル(レスリング連盟=UWF)で態度が大きくなっていた佐山(聡)さん(※1)との試合(大阪)が1985年9月2日に決まると(営業部長の)上井(文彦)さんと(企画部長の)伊佐早(敏男)さんが「やっつけてください」と。佐山さんがいないと客が入らないから試合で身の程を知ってもらって、俺が辞めればいい。佐山さんのいいところなしの試合をして「自分はそんなに強くない」ってことをわかってもらおうと思ったんだ。

 いま試合を振り返っても手応えなかったよね。もう少しシバいてもよかったなと。ケガをさせてはいけないと思ってたから。俺が下から腕をとっても何もできなかったし、ちょっとビビってたよ。佐山さんも困ってたから俺がヒザを入れるとレフェリーに「金的を蹴られた」って試合をやめたんだよ(結果は前田氏の反則負け)。

 真剣にやろうと思ったら、体格差のある佐山さんの頭を押さえて顔面にヒザを入れ続けることだって簡単にできたわけだから。まあ、それでも試合後、藤原(喜明)さんに「やってはいけないことをやったのでこれで辞めます」と伝えると、そのまま着替えてタクシーに乗って会場を出ていったんだ。

 佐山さんとみんながうまくまとまってくれたらいいな、俺はこれからどうしようかなと思っていたら、今度はみんなが俺のことを迎えに来てくれた。「佐山さんは?」と聞いたら辞めたって。それでまた責任を感じ、ユニバーサルに戻るしかないかなと思ったんだよね。とはいえ、会社は資金的に続けていくことができず、もう活動停止状態になっていた。

 俺はみんなを集めて「新日本プロレスに一緒に行きましょうか」と言ったんだけど、藤原さんと木戸(修)さん(※2)は、散々かませ犬でやらされたせいか「嫌だ」って言うんだよ。「全日本プロレスはどうですか」と聞くと「だったら行く」と。それで(ジャイアント)馬場さんに会って話をしたら、ジャパンプロレスや国際プロレスの選手たちがいて飽和状態だってことで「どうしても言うんなら、前田君と高田(延彦)君の若い2人くらいしか面倒を見られない」と言われた。

 そのまま藤原さんたちに伝えたら、機嫌が悪くなって「どこかの広っぱの野外特設リングで(試合を)やればいいじゃないか」とか言うもんだからさ。「もう新日本しかないから一緒に話をしに行きましょう」って言ったら「勝手にしろ!」とのことだったので、だったら勝手にしたらいいかなと思って新日本に戻ることにしたんだよね。

※1初代タイガーマスク、当時スーパー・タイガー
※2「いぶし銀」と呼ばれたプロレスラー、長女の愛はプロゴルファー

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。