【前田日明(5)】1974年に入学した大阪・北陽高(現関西大北陽高)時代、周りにはトンパチ(見境ないの意味)なヤツがいっぱいいて。田中正悟(※1)が支部長をやってた空手道場に後輩がいたんだよ。そいつが宗右衛門町で練習帰りの夜中に警官から「こんな遅くに高校生が飲み屋街をウロウロしたらアカンやろ」と。そしたら道着を見せ「空手行ってましたんや。イチャモンつけんといてください」って。

 警官から「空手も何も白帯やないか」と言われると「お巡りさん、空手は白帯でもケンカは10段ですよ」。それで「空手って言うけど拳銃向けられたらどうすんねん」と返されると「簡単ですやん、左手の人さし指で栓して右手でシバいたらおしまいですやん」って、そのままシバきよったんや。ほんでお巡りさんに捕まって…そんなとんでもないヤツがいっぱいいた高校時代だった。

 大阪では、後になって俺と赤井英和(※2)が比較されたんだけど、沿線が違うから会わなかったんだ。彼は南海電車で俺は阪急の京都線。赤井は当時ボクシング部でインターハイに行ったりして有名だったからケンカしたら出られないじゃん。言われてるほど悪いことはできなかったと思うね。シーザー武志(※3)や渡嘉敷勝男(※4)が有名だったとかいうけど、当時やんちゃなヤツなんて掃いて捨てるほどおったから。よっぽど強くないと話は聞こえてこないよ。

 高校3年生になって周りのみんなと同じように大学を受験したんだよね。結局落ちてしまったころ、ちょうど俺のいとこが、マグロ漁船に乗って帰ってきて、給料を何百万ももらったって。当時のカネで。だって大学の初任給が10万円くらいの時代だよ? いろいろ話を聞いたり調べたりしたら「そんなに儲かるものなんだ」と思うようになった。専業のマグロ船員のなかには若くして大豪邸建ててるやつらがいて、1回の航海で2000万もらえるとかそんな話がいっぱいあって。ウチのいとこは3か月くらいで降りたけど、それでも数百万もらえたって。

 だったら俺もしばらくマグロ漁船に乗って、おカネをためて米国に行こう、それで空手の道場でもやろうかと思っていた。だけど、ちょうどそのころ、先輩だった田中正悟が「新間寿(※5)と会わないか。モハメド・アリ―アントニオ猪木戦を実現させたすごい人なんだ」と言ってきた。結果的にその誘いで、俺の人生が大きく変わっていったんだよね。

※1空手道場の先輩
※2「難波のロッキー」と呼ばれた元プロボクサー、俳優
※3元プロキックボクサー、シュートボクシング創始者
※4ボクシングの元WBA世界ライトフライ級王者
※5元新日本プロレス専務、元WWF会長

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。