【昭和名優のダンディズム】ひとつの時代の終わりだったのか始まりだったのか。名優・松田優作さんが亡くなったのは、平成元年のことだった。時代の境目となるこの年末年始、懐かしの映画やドラマなどであの雄姿をもう一度目にするのもいいかもしれない。映画研究家・杉作J太郎氏が、松田さんについてつづる。
いまでも時々考えることがある。「優作さんだったらこんなとき、どうするのだろう?」と。
松田優作さんのカッコよさはただの見た目やファッションじゃなかった。その証拠に着ているものはそれほどでもない。というか、ボロボロだった。
優作さんの遺した大傑作映画「最も危険な遊戯」の冒頭、雀荘にいる優作さんが着ているのは「どてら」である。「どてら」と言ってもわからない人もいるかもしれない。「ねんねこ半纏(はんてん)」である。綿の入った、田舎のおばあちゃんとか、昔の受験生とかが着ていたアレである。いまでも場末のスーパーとかに行くと2000円ぐらいで売ってる。家の中で着る人はいてもあれを着て街中に行く人はいない。だが優作さんは「どてら」を羽織って街にいた。それも渋谷のど真ん中である。上は「どてら」、下はぶかぶかの汚い作業ズボンで優作さんはマージャンを打っていた。相手は石橋蓮司、柴田恭兵、榎木兵衛、内田裕也。それぞれビシッと決めてる。蓮司さんなどは純白の美しいセーターが似合っていた。
この映画で優作さんが演じるのは鳴海と名乗る殺し屋である。銃を使う凄腕の殺し屋である。鍛えられた肉体とハングリーなスタイルは「ロッキー」第1作のシルベスター・スタローンを思わせるがカッコよさは優作さんのほうが上だ。
ロッキーはエイドリアンと結婚したが鳴海は「一度抱いた女を二度抱くほどヒマじゃない」と吐き捨てた。
仕事もカネ次第で引き受けるが相手に服従することは決してないし、相手の態度が悪ければ雇い主だろうと命を奪う。
だが仲間や女には基本やさしい。やさしいが、仲間や女を信じることはない。裏切られて傷つきたくない、呪いたくない、失望したくない、のだ。
優作さんはその鳴海という殺し屋を完璧に演じている。いや、演じるというより、優作さんが鳴海である。生み出したのだ。村川透監督、仙元誠三カメラマン、そして山西道広、清水宏といった芝居仲間とともに、激しくぶつかったり意気投合しながら絞り出すように生み出したのである。
この「最も危険な遊戯」というのは東映が設けた新セクション、東映セントラルフィルムの第1作で、製作費も極端に少なく映画製作の限界をこえた低予算だった。大傑作「最も危険な遊戯」はそこで誕生した。
この映画の優作さんを見るたびに学ぶことがある。
言葉にすると安くなるが、生きる姿勢である。その時その時でやりたいことを精一杯、入魂して行うという姿勢である。高い服やおしゃれな服を着ても意味はない。問題は中身であり、なにを考え、なにをすべきかということである。
ちなみにこの映画、ラストも優作さんは「どてら」で渋谷駅の南口から国道246方面に走っていく。最高にカッコいい。
☆すぎさく・じぇいたろう=男の墓場プロダクション局長。映画監督、漫画家、俳優、ミュージシャンとマルチな才能を持つ。近著に「不良番長 浪漫アルバム」(徳間書店)。












