【浜口京子 気合でGO!】レスリング五輪銅メダリストの浜口京子(43)が東京五輪に続き、本紙で思いのままを語る「気合でGO!」。今回のテーマは「浜口道場」だ。父・アニマル浜口氏(74)は30年以上、命を懸けてプロレスラーの卵たちを育て上げ、京子も練習生たちとともに汗を流した。驚くことにプロレス指導料は0円! プロレスへの恩返しが目的だ。最近では新日本プロレスの内藤哲也(39)や鷹木信悟(38)らスターが大舞台で活躍。タレントの有吉弘行(47)からも絶賛される“原点”とは?

 京子 みなさん、こんにちは。今日は、私やプロレスラーを目指す若者たちが汗を流す浜口道場と、会長を務める父について、お話ししたいと思います。

 会長にとって、道場は生きがいなんです。もう30年以上ずっと、道場が始まる1時間前から会長は完全に人が変わります。ピリピリ、ギラギラしてきます。「テレビを消せ!」と完全に集中モード。静かになる。話しかけても返事が返ってこない。心を整えているんです。大事な道場生に、ケガでもあったら大変ですから。ふざけたり、歯を見せたりは絶対にできません。

 これまで、たくさんのプロレスラーの卵たちが巣立っていきました。今なら内藤くん、鷹木くん、BUSHIくん、KAIくん、羆嵐くん…。みんなの活躍を家族でいつも楽しみに見ています。彼らに憧れて全国各地からプロレスラーを目指して多くの若者が上京し、浅草で汗を流しています。

 ※浜口氏は1987年11月1日に浅草にアニマル浜口トレーニングジムを設立した。通ってくるジムの会員の若者にプロレスラー希望が多かったことから、「プロレスへの恩返し」の気持ちで、90年から“プロレスラー育成コース”をスタート。「浜口道場」として定着した。小原道由、小島聡、大谷晋二郎、本間朋晃らこれまで数えきれないほどの若者を育て、名選手を輩出。驚くべきは、週3回あるプロレスラー育成コースは指導料も道場使用料も“無料”ということだ。開設以来、ジムの一般会員費以外は受け取っていない。

 京子 内藤くんや鷹木くんには、私の弱いところ、ダメなところ、すべてを見せています。彼らが道場生だったのは、ちょうど私が、女子レスリングが五輪初採用となった2004年アテネ五輪での金メダルを目指していたころ。97年から世界3連覇した後、海外選手に投げられたり、負けたりしてすごくピリピリしていたころです。毎日、私はすごい形相で「話しかけんな!」オーラを出していました。そんな私と、若き内藤くんや鷹木くんはスパーリングの相手や、投げ対策の相手を務めてくれました。

 彼らと切磋琢磨しながら過ごした時間は貴重。一生ものです。彼らはみな、私や会長の分身みたいなもの。離れていても、心がつながっている、同じ血が流れている。そんな存在です。世界のトップを取るために毎日追い詰められて、死に物狂いだった私の姿が、今もみんなの心の片隅に残っていてくれたらいいなと思っています。

 会長はみんなに「どこどこの団体へ行け」なんて言いません。みんな自分が好きな団体を選んでテストを受けています。理由について、会長が「未来ある若者を手のひらで握りしめてはいけない。羽ばたいてもらわないと」と記者さんに話していたのを聞きました。そんな会長のことがみんな大好きで、会長の誕生日にはいつもメッセージをくれるんですよ。

『有吉くんの正直さんぽ』(フジ系)に出させていただいた時、有吉さんが「浜口道場出身選手はいい選手が多い。浜口道場、ずっと続けていってほしい」って言ってくれたんです。芸能界の方から初めてそう言っていただき、本当にうれしかった。私は「もちろん、絶対に続けます」と即答しました。これからもずっと父や弟の剛史らとともに守っていきたいです。

 ☆はまぐち・きょうこ 1978年1月11日生まれ。東京・台東区出身。14歳からレスリングを始める。95年世界選手権初出場。97年同初優勝。日本女子最重量級エースとして不動の地位を確立し、5度世界を制した。2004年アテネ五輪、08年北京五輪72キロ級で2大会連続銅メダル。12年ロンドン五輪11位。全日本選手権は史上最多の16度優勝を果たしている。

 ☆あにまる・はまぐち 本名・浜口平吾。1947年8月31日生まれ。島根・浜田市出身。69年、国際プロレスに入門。83年に新日本プロレスで長州力と維新軍を結成し大ブレーク。ジャパンプロレス、全日本プロレスでも活躍した。87年、東京・浅草にアニマル浜口トレーニングジムを設立。プロレスラーを目指す若者の指導に当たる。長女・京子のコーチとしてもレスリング世界一に導いた。2019年、同じ浅草に新道場を移転オープン。