日本レスリング協会・福田富昭会長が語る「五輪の表と裏」

2019年07月04日 11時00分

日本スポーツ界の生き証人、福田氏が五輪14大会を振り返る

【東京から東京へ オリンピックの目撃者 日本スポーツ界の首領・福田富昭】 2020年東京五輪は24日で開幕まで1年を迎える。前回1964年東京大会から現在に至るまで、あらゆる立場ですべての夏季五輪に携わった稀有な男が日本レスリング協会の福田富昭会長(77)だ。10日発行からスタートする新連載「東京から東京へ オリンピックの目撃者」では、五輪の表も裏も知る日本スポーツ界の首領(ドン)が、半生とともに14度(日本がボイコットしたモスクワ大会を含む)の五輪を回想。ドラマに満ちたスポーツ、格闘技のリアルストーリーをお届けする。

 日本レスリング協会で会長を務めている福田富昭です。東京五輪を来年に控え、日本に漂う高揚感に触れると、1964年の東京大会開幕前を思い出します。当時も東京は五輪に向けた建設ラッシュ。大学生の私はレスリングに明け暮れる一方、練習後は生活費を稼ぐため虎ノ門のホテルオークラや大蔵省印刷局(当時)など、大成建設の建設現場で夜通し夜警をしていました。

 大会前年になると、当時の日本協会・八田一朗会長(故人)発案のもと、五輪代表候補として千駄ヶ谷のボロ長屋に泊まり込み、365日の長期合宿を行っていました。八田会長は日本レスリングの父とも呼ばれ「八田イズム」という独特な強化方法の持ち主。夜中に突然「起床~!」と起こされ練習したこともありました。

 あれから55年。東京大会から2016年リオデジャネイロ大会まで立場は違えど14大会すべての五輪に関わり、モスクワ大会以外を現地で見ました。世界を見渡しても、同じ経験をした人はそう多くはないと思います。

 前回東京大会でレスリングは60年ローマ大会の銀1から金5、銅1の大躍進。日本中が歓喜に沸きました。私は五輪最終予選バンタム(57キロ)級で上武洋次郎さん(76=金メダルを獲得)に敗れ、補欠で競技補助役員。悔しさをかみ締めながら、メインポールに堂々と掲げられる日の丸をマットサイドから見上げました。翌年の世界選手権で優勝した後に引退。指導者として五輪に携わるようになります。

 80年モスクワ大会。フリースタイル監督として、76年モントリオール大会から2連覇を目指す高田裕司(65)や、世界王者の富山英明(61)ら金メダル間違いなしの最強チームをつくり上げました。しかし79年、ソ連がアフガニスタンに侵攻。東西冷戦の影響を受け、日本は大会をボイコットするのです。私はどうしても選手を出場させたい一心で徹底抗戦し、レスリングフリーだけで参加しようとしていたのですが…。詳細は後日お伝えしましょう。

 84年ロス大会では、富山が開会式にカメラを持ち込んだことで強制送還問題に発展。選手団本部と大ゲンカになりました。今では考えられませんが、当時は開会式にカメラを持ち込んではいけないという、死文化したルールがあったのです。守っていたのは日本だけ。しかも日本選手団で持ち込んだ人は他にもいたのですが、一人だけがやり玉に挙げられました。当時の日本体育協会(日本オリンピック委員会は91年に独立)は“選手第一”とはかけ離れた体質。私は食ってかかりました。富山は逆境をはねのけ金メダルを獲得。その後も男子はメダル獲得の伝統をつないでいます。

 男子が華々しく五輪の舞台に立つ一方、女子の五輪種目入りは苦難の連続でした。日本協会理事たちの反対を押し切り、協会内に少年部とともに女子部をつくったのが84年。女性がレスリングをするなんて考えられない時代でした。私は男子ができるなら女子もできると信じました。全国から選手をスカウト。自宅近くのアパートに寮をつくり強化しました。中には不良少女たちもいて、それは壮絶な日々でした。

 また、当時人気絶頂の全日本女子プロレスと提携。練習生だったアジャ・コング(48)らにレスリングを指導しました。国際連盟でも女子の普及に努め、国際オリンピック委員会にかけ合い、04年アテネ大会で正式種目になるのです。日本選手団総監督の私の目の前で、吉田沙保里(36)、伊調馨(35)が表彰台の頂点に立ちました。

 余談ですが、プロレス、格闘技がお好きな読者の皆さまには、アントニオ猪木さん(76)とミュンヘン五輪柔道金メダルの“赤鬼”ウィリアム・ルスカ(故人)の異種格闘技戦の裏話もお届けできるでしょう。実は、私はルスカの代理人を務めたのですよ。

 ほかにも、今だから話せることがたくさんあります。東京大会まであと1年。私の過去を振り返りながら、五輪、スポーツ、格闘技についてお伝えしていきたいと思います。(一部敬称略)

☆ふくだ・とみあき=1941年12月19日生まれ。東京都出身。富山・滑川高でレスリングを始める。日大に進学し、大学2年で全日本大学選手権バンタム級(57キロ級)優勝。65年全日本選手権同級優勝、世界選手権マンチェスター大会同級金メダル。2003年から日本レスリング協会会長。04年アテネ五輪日本選手団総監督、08年北京五輪同団長を歴任。国際レスリング連盟(現・世界レスリング連合)で副会長を務め、現在名誉副会長。日本オリンピック委員会副会長を経て現在名誉委員。講道館理事。東京五輪組織委員会評議員。