激動の時代を支えた日本サッカー協会元会長の小倉純二氏(80=現最高顧問)が新たなチャレンジにまい進している。Jリーグ創設や日本代表のW杯出場などに貢献した同氏が、本紙インタビューで平成を振り返り、令和時代を見据えた。現在はFリーグ(フットサル)の最高執行責任者(COO)を務めるが、元日本代表FW三浦知良(52=J2横浜FC)らに参戦をオファー。フットサルを五輪競技にするべく奮闘している。

 ――サッカー界の発展に貢献した

 小倉氏 1988年のソウル五輪に日本は宿敵(で開催国)の韓国がいないのにアジア予選を突破できなかった。大きなショックだったし、非難もされた。そこで日本サッカーリーグは活性化委員会を立ち上げ、私が委員長を務め、議論しながら「プロ化する」との結論を出した。

 ――W杯招致と連動してプロ化の話は進んだ

 小倉 W杯招致ではナイター設備や観客を動員できる大型スタジアムが必要であり、「プロリーグ」がないと競技場を造ってもらえないとの話もあって(プロ化も)動いた。それが平成元年(89年)のことで革命だったんじゃないかな。91年にJリーグが発足し、93年に開幕。96年に28年ぶりのアトランタ五輪出場、98年にはフランスW杯初出場と、日本は平成時代に躍進した。その絵を描けたのは良かった。

 ――協会会長時代に印象に残る出来事

 小倉 やはり、なでしこジャパンの(2011年ドイツ)W杯制覇だね。(同年3月に)東日本大震災があって不安に包まれる中、ドイツ、米国に勝って優勝して国民栄誉賞までも…。本当にすごいことをしてくれた。被災地の方から「勇気をもらえた」と言ってもらえた。少しは力を与えられたのではないか。

 ――W杯優勝は世界的な快挙になった

 小倉 恐らく勝てないと思っていた(W杯準々決勝で)ドイツに丸山(桂里奈)さんのゴールで勝ち、流れが一気に変わったかな。地元(ドイツ)の方が日本を応援してくれるようになった。それに澤(穂希)さんが神がかっていた。未勝利だった米国に彼女のゴールで決勝で勝てたし、日本のパスサッカーは「FCバルセロナみたい」って言われたよ。今大会(6月開幕のフランス女子W杯)も期待したい。

 ――現在はFリーグのCOOを務める

 小倉 またカズ(FW三浦知良)に出てもらいたいと思ったけど、しばらくは無理と…。小野(伸二=39、札幌)にも声をかけたけど「まだ11人制でやりたい」って。いずれはFリーグに来てほしい。それとは別に、フットサルがユース五輪に採用されていて、日本女子は昨年のブエノスアイレス大会で銀メダルを取ったので、そこにも注目してほしい。

 ――ユース五輪の種目は五輪本大会の追加種目になる可能性もある

 小倉(フットサル人気が高い)中央アジアや中東諸国は賛成してくれるでしょう。体育館でやる競技なので寒い地方では人気があるし、日本では北海道で盛ん。ただ夏季五輪は種目を増やせないようだし、サッカーは11人制でやるので、フットサルは難しい。そこで冬季五輪は!と提案したら「体育館は他競技の練習会場になっている」と。まずは、その整備が必要なのかもしれない。

 ――若者に人気が高まれば、ブレークダンスのように採用もある

 小倉(国際サッカー連盟会長のジャンニ)インファンティノ(49)にも言ったんだけど、まずはフットサルをユース五輪で継続してほしいと。若い人たちが興味を持つ競技になっていけば…。そのあとをどう調整して(五輪種目に)もぐり込ませるのかでしょう。それが令和時代になって私の野望と言っていいのかな。まあ、大変だけど。