【龍魂激論】天龍失神 鶴田衝撃の逆パワーボムの真相 没後20年・レフェリー和田氏が“代弁”本音は…

2020年04月24日 11時00分

鶴田が天龍(左)に放った伝説の逆パワーボム(89年4月20日、大阪府立体育会館)

 5月13日は「最強」と呼ばれた全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者・ジャンボ鶴田さん(享年49)の命日に当たり、今年で没後20年を迎える。最大のライバルだったミスタープロレス・天龍源一郎(70)がホスト役を務める「龍魂激論」では、和田京平名誉レフェリー(65)、秋山準(50)とともに、鶴田さんが残した数々の伝説を徹底検証。3回にわたる掲載の最終回では、天龍が失神した「逆パワーボム事件」の真相と、晩年の秘話が明かされた。

 ――天龍さんは鶴田さんの意外な試合が印象に残っている

 天龍:俺がプロレスに転向する4か月前の蔵前国技館で見たテリー・ファンクとのNWA世界ヘビー級戦(1976年6月11日)だね。馬場さんから「一度見に来れば」と言われて。

 和田レフェリー(以下和田):ああ、あの試合いらしてたんですか。

 天龍:それが初観戦ですよ。相撲と同じ国技館だけど、プロレスの会場の雰囲気ってとげとげしいと思ってたら、予想に反してスマートなんで驚いた。俺がテレビで見てたのは、力道山先生とか芳の里さんとかフレッド・ブラッシーの時代。それから何十年たってたから、ジャンボの試合はスポーツライクに映った。

 秋山:僕は大学3年の時に初観戦した(90年4月13日)東京ドームの日米レスリングサミット(鶴田、キング・ハク組対リック・マーテル、カート・ヘニング組)。マーテルをバックドロップで投げる鶴田さんの姿にゾクッとした。あの試合を見てなかったらプロレスに入っていなかったかも。テーマ曲の「J」がドームに鳴り響いてかっこよかった。試合が終わった後はニコニコして余裕でしたね。

 和田:俺は記憶に残るというよりも、大変だったのは(天龍が王者の鶴田に挑戦した)大阪の3冠戦(89年4月20日)ですね。

 ――天龍さんがまさかの逆パワーボムで失神した伝説の一戦だ

 和田:「えっ、人の技使うのか?」と驚いてたら、汗で滑って肩から天龍さんが落ちちゃって。

 天龍:変な角度で頭打ったから「動いたら危ない」と思って「京平ちゃん。俺、もうダメだ…」って倒れたままつぶやいたんだよね。

 和田:俺も仕方ないからカウント3つ入れて「大丈夫ですか?」ってささやいたら、何も言わない。そのまま病院に直行したんですよね。

 天龍:あのパワーボムは、ジャンボが余裕かましてわざと落としたと今でも思ってるよ。

 和田:だから3つ叩いた時のジャンボの表情が面白かった。「えっ、ウソでしょ?」って。やっぱり最後は得意のバックドロップで決めたいじゃない。それが単なるつなぎ技で終わったから不満なわけですよ。自分の技を使われた上、つなぎ技で終わらせられたほうはたまったもんじゃないですよね(笑い)。

 天龍:ジャンボは「何だよ、こんなんでノビやがって」と思ってただろうが、俺は倒れながら「コノヤロー、ヘタクソだな」とイラッとしてた。

 和田:あとはやっぱり2人の最後の3冠戦でしょう(90年4月19日、横浜=王者の鶴田が12分32秒、岩石落とし固めで勝利)。天龍さんの暴れっぷりがすごかった。「コノヤロー」って思いが伝わってきた。

 天龍:イス持ってガンガンいって。だけど今考えると、あの時ジャンボは肝臓を患っていたんだね。

 和田:当時、我々は全然知らなかった…。

 ――やはり「最強はジャンボ鶴田」という結論でよろしいでしょうか

 秋山:鶴田さん、(山梨県立日川)高校時代はバスケットボール部ですよね。レスリング始めて3年半で(72年ミュンヘン)オリンピック行くなんて絶対あり得ないです。そんな人いないですって。

 天龍:彼は日本デビュー前に渡米して、半年後にドリー・ファンク・ジュニアのNWA王座に挑戦して大善戦しているんですよ(73年5月20日、ニューメキシコ)。あのドリーが2か月で「ジャンボに教えることはもう何もない」って言ってた。日本に戻ってきても、試合前に1時間以上もバスケットボールで遊んだり、馬場さんとゴルフコースを回ってからメインに出てるんだから。

 秋山:あり得ない…。

 和田:まあ、最強で文句ないし、もう出てこないでしょう。

 秋山:ジャンピングニーは92年に直接教えてもらって、よく練習していただきました。意外とすぐマスターできた。だんだん飛べなくなってきましたが、飛べるまで続けます(笑い)。

 天龍:彼が人に教えるなんて珍しいね。

 和田:見たことがないですよ。身を引くから、もう教えるチャンスなんてないと思っていたのかもしれないね。

 ――B型肝炎さえなければ時代は変わっていたかも

 和田:(99年1月に)馬場さんが亡くなった直後に(夫人の)元子さんから「ジャンボ、あとは頼むね」って社長を打診されたけど「僕には無理です。米国で(肝臓の)移植もしたいし、大学の勉強もあるので」とはっきり断っていた。その年の3月には渡米したし、プロレスには興味がなくなっていたんだね。

 天龍:「イエス」って言ってたら歴史は変わっていたかも。ジャンボが先頭に立てば、皆ついていくしかないから。最後まで自分の哲学を貫いたのかな。こういうギスギスした時代だからこそ、ジャンボの「まあまあ」(両手で抑えるポーズ)という、おおらかさが必要かもしれないね。お二人とも大変な時期にもかかわらず、本日は長時間ありがとうございました。(終わり)