【前田日明(15)】 新日本プロレスとユニバーサル(レスリング連盟=UWF)勢の緊張関係が続いていた1986年4月29日に三重・津市体育館大会でアンドレ(ザ・ジャイアント)とのシングルマッチが組まれた。テレビ中継(一部地域を除く)のある試合だったんだけど「突然、組まれたな」って感じだったよね。

 試合当日、会場へ着くと記者から「アンドレが前田を潰すって言ってるけど」と聞かれると、今度は(レフェリーのミスター)高橋さんが「アンドレがお前を潰すって言ってるからなだめてくれ」って。外国人控室ではディック・マードック(※1)たちが俺に対して「気の毒だな」みたいな感じで目も合わせないんだよ。当のアンドレには「ゲラウェイ(出ていけ)」と追い払われた。試合前に高橋さんが来て「レフェリーはアンドレのマネジャー(フレンチ・バーナード)がやる」と。一体どうなるんかなと思いながらリングに上がったんだ。

 いざ試合が始まったら全然プロレスにならない。タックルに行ったら潰されるし、ナックルで殴ってくるし、フルネルソンで捕まえられた時は首が折れる寸前でミシミシってね。アンドレは試合をしようとしてない。俺を潰しに来てる。星野(勘太郎)さん(※2)がいたから「俺もやっていいんですか。やらないとケガしますよ」って聞くと「俺に聞くな!」って言うんだよね。

 どうすればいいのかって困っていると藤原(喜明)さんが「何やってるんだ、殺されるぞ! 行け!」と。これで「何かあっても藤原さんのせいにしたらいい」と思って真剣にやったんだ。アンドレは頑丈だったね。ローを蹴りまくっても倒れないからヒザ頭を何度も思い切り蹴った。あのころの俺にやられたら、普通は一発当たっただけで立てないよ。

 最後は倒れ込んだアンドレが「イッツ・ノット・マイ・ビジネス」と言って試合を放棄。当時WWF(現WWE)でアンドレから3カウント取ったら賞金20万ドル(約2800万円)とか、そんな話だったんだから「これ3カウント取れるんじゃないの?」って思ったけど、結局みんながワーッとリングに入ってきてノーコンテストになった。

 誰がアンドレにあんなことをさせたのか。諸説あったけど、俺は(アントニオ)猪木さんだと思った。でも試合後に猪木さんが「あれでいいんだよ」って。アレ? 猪木さんじゃないんだって思って坂口(征二)さん(※3)見たら「チッ…」って顔したんだよ(笑い)。今になって考えると…坂口さんか高橋さんのどっちかかな。アンドレがやりすぎてしまった部分もあったんだろうけどね。

※1「狂犬」と呼ばれた米国出身プロレスラー
※2元プロレスラー、魔界倶楽部総裁
※3「世界の荒鷲」と呼ばれたプロレスラー・柔道家

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。