【この人の哲学:テツandトモ(3)】結成22年。M―1グランプリ決勝に進出するなどブレークから18年。昨今は“営業最強芸人”としても知られるテツandトモの“夜明け前”――。大学で同じクラス、誕生日も1日違いと運命的な要素があるのに学生時代にはコンビを組む気配すらなかった2人。卒業後にたどった道は?

 ――トモさんは大学卒業前に別の人と組みお笑いパフォーマンスでテレビに出ていたと

 トモ:高校時代からの親友と素人出演コーナーにけっこう出てました。芝居をやりたいというのが大前提だったけど、彼と笑いの道に進むのもいいなという気持ちも芽生えてました。しかしその親友は「芸能界は先がわからない。山形で就職する」と故郷に帰ってしまったんです。

 ――残されたトモさんは

 トモ:これはあまり話してこなかったんですが、大学を卒業した1993年ごろ、吉本さんがラフォーレ原宿で喜劇をやるというので、オーディションを受け、2年ぐらい吉本さんで定期的にお芝居をやってました。その時にメインで出ていたのが月亭方正さんのTEAM―0さん(93年に解散)、極楽とんぼさん、ココリコさん、本田みずほさんといった方々。

 テツ:見に行きました。それで「やっぱりお笑いに進むんだ~」と思ってました(笑い)。

 トモ:ところが、舞台に出て気づくんです。芸人さんたちはお芝居しててもドカンドカンと笑いを取る。こっちは与えられたセリフ通りに芝居をやるだけ。当時、方正さんはすでに大人気でしたが、極楽さんは深夜番組「とぶくすり」(フジ)に出始めたころで、ココリコさんはまだテレビで見ませんでした。後にトップを取る人たちの“力量”を目の当たりにして、「すごい! これはかなわない。芸人は無理だ。芝居としても埋もれている。このまま吉本にいても先はない」と考えて辞めちゃうんです。

 ――一方、大学卒業後のテツさんは

 テツ:日芸のひとつ上の先輩に誘われた「BQMAP」の活動を27歳まで続けてました。年に3回の公演に追われながらバイトして、チケットノルマもあるから、資金的には常にキツキツ。苦しい時は半年ぐらい家賃をためるような状態でした。

 トモ:わたしもお金がなくて、部屋中探して商品券とかいろんなもの売って食いつないでました。

 ――トモさんは26歳(96年)の時に「NHKのど自慢」に出演しチャンピオンになってます

 トモ:お芝居で芽が出ないものだから、両親や親戚から「山形の劇団でもいいじゃない」「帰ってきたら」と言われてたんです。芝居に執着しているけど、何か名を売るきっかけが欲しい。そんな時に大学の同級生から「NHKのど自慢」が東京で開催されると教えてもらい応募しました。

 テツ:僕も応募したんですが、抽選で外れて予選すら行けませんでした。

 トモ:わたしは予選も通り、なかのZEROホールでの本番へ。ゲストの山本譲二さんを前に「みちのくひとり旅」を歌ったんです。山本さんが近づいてきてくださって、目の前には拍手する1000人のお客さん。あれは気持ち良かった~。

 テツ:それを僕はテレビで見てて、あれ? トモはお笑いをやめて芝居に戻って、今度は歌…。何を目指すんだ?と思ってました(笑い)。

 トモ:やってることメチャクチャでした(笑い)。チャンピオンになって「これは歌でスカウトされるかも。芝居か歌かどっちで行こうか」とか思うわけですよ、若いから。でも何もないまま時は流れ…。

 テツ:テレビで見てて、歌は素晴らしかったんです。でもビジュアルが完全に危ない人だったんですよ(笑い)。普段のトモと全然違い、カメラをにらみつける顔が怖すぎて(笑い)。

 トモ:お金がないから半年に1回ぐらいしか髪を切りに行けず、頭はボサボサ。服を持ってないから、寝間着みたいな汚いトレーナー。必死だからついカメラをニラんで…。あれじゃあオファー来ないわな。NHKさんのトーク番組などに出してもらう時、当時のVTRが流れるんですけど、恥ずかしくてしょうがないです(笑い)。 (次週に続く)

☆テツアンドトモ=中本哲也(テツ)、1970年5月9日生まれ、滋賀県出身。石澤智幸(トモ)、70年5月10日生まれ、山形県出身。98年2月にコンビ結成。2001年国立演芸場花形演芸大賞銀賞受賞。翌年、金賞獲得。「なんでだろう~」は03年新語・流行語大賞「年間大賞」受賞。親子のユーモアコミュニケーション絵本「なんでだろう」(1000円+税、世界文化社)とCDアルバム「テツandトモの元気になれるのなんでだろう?」(1818円+税)が発売中。