テレビ朝日系「ニュースステーション」(Nステ)などで活躍したフリーアナウンサーの久米宏さんが1日に肺がんのため死去していたことが13日、明らかになった。81歳だった。「テレビ報道の革命児」と称された久米さん。新しいスタイルを築く過程には、〝リアル徹子の部屋〟と〝ちゃん呼び〟があった。

 所属事務所が13日、久米さんが死去し、葬儀は近親者で執り行ったことを発表した。

 久米さんは1967年、早稲田大学政経学部を卒業し、TBSに入社。78年に放送開始された「ザ・ベストテン」でタレントの黒柳徹子(92)とダブルMCを務め、軽妙なトークで全国区の人気を得た。79年に退社してフリーに転じた後も同番組に出演し続け、81年9月17日放送では、最高視聴率41・9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を叩き出した。

 85年の放送開始から2004年の放送終了まで約19年間、キャスターを務めた「Nステ」では〝テレビ報道の革命児〟と称される存在感を発揮。それまでの民放報道番組はアナウンサーが原稿を読んでニュースを伝える硬い雰囲気だったが、これを一新。番組セットなどの大道具、フリップなどの小道具を作って明るい雰囲気を取り入れ、久米さんが自身の見解を述べる新しいスタイルを確立。これが他局に広がり、現在の報道番組に脈々と受け継がれている。

「Nステで初代サブキャスターを務めていた小宮悦子さん、2代目の渡辺真理さんに本番中、『えっちゃん、どう思う?』とか『まりちゃんはどう?』と〝ちゃん付け〟して呼んでいた。今ならそれはそれで問題でしょうが、当時はバラエティー経験豊富な久米さんだから出せる気さくさがあり、その柔らかい空気感が『Nステ』をお茶の間に浸透させていった」(テレビ局関係者)

小宮悦子さんと腕を組む久米宏さん
小宮悦子さんと腕を組む久米宏さん

 そんな久米さんについて、テレ朝関係者の間で伝説として語り継がれているエピソードが〝リアル徹子の部屋〟だ。

 久米さんはテレ朝から水面下で「Nステ」キャスターをオファーされ、当時司会を務めていた「ザ・ベストテン」など他番組の降板を決意。ただ、「Nステ」の話は世間には未発表。久米さんはテレ朝から口止めされたため、黒柳にも「ザ・ベストテン」の降板理由を正直に打ち明けられず、頭を抱えていたという。テレ朝関係者の話。

「久米さんは当時、黒柳さんの自宅に呼ばれ、『ザ・ベストテン』の降板理由を問いただされました。『フリーアナとして成長したいんです』などと説明したけど、徹子さんは首をかしげるばかりで『それがホントの理由なの?』『それであれば海外留学されればいいじゃない』と譲らなかった。久米さんは結局、『Nステ』の話に触れず、切り抜けたんです。徹子さんの自宅に呼ばれて話し合ったこともあり、徹子さんの番組名に引っ掛けて〝リアル徹子の部屋〟と語り草になっている」

 さらに「Nステ」放送開始される前の80年代前半までといえば、バラエティー番組やドラマが高視聴率を連発。午後10時台に帯(平日全日)でスタートさせることは当時、前代未聞だった。それでも19年間で4795回放送され、平均視聴率14・4%。この高視聴率は久米さんだからこそ成し遂げられたとも言える。

「現在『報ステ』として続いているのも、久米さんのおかげです」(別のテレ朝関係者)

「Nステ」の04年3月26日放送の最終回でビールをグビッと飲み干したように、天国でも酒を楽しんでいるに違いない。